『音系シリーズ 箏曲さんが行く!』の千鳥瑛子による独白調(自分の考えと回想ばかり)ですが私の今の気持ち。
少し優しくなれる話というのを心がけて書きました。2006年の終わりということでみなさまにお捧げします。

 それは、あなたの口癖でしたね。

「あいつは私の顔を見るだけで謝るし」

 私にもよく言ってましたけど、あなたはすぐ謝る方でした。

「あの人、謝るの趣味ですよね」

 何回謝罪の言葉を聞いたかな。

「すみません! 本当にすみません!」

 言い過ぎて重みが感じられませんよ、と言ってあげたくなったけど……。

 1度、私たちが正式に会ってる中では最後の日、言われた謝罪だけはあの時意味がわからなかった。




 『すみません』




「はぁ……」

 疲れた顔でハンガーにコートをかける。

 外は暗い。

 私が所属している箏曲研究会が定演前でハードに練習した後、音系会議――私の通ってる大学の音楽系サークルの合同会議――に出て……帰りは一日が終わってしまう時間に近い。

 学生だから気は楽……まあ仕事をしている人からすればそうなるのかもしれないけれど、学生にだって生意気にもストレスはあるのが現状だ。

 バイトもしてなければそんなストレス溜まらないと思ってたけど、サークル活動は人をまとめたり作業が多くて実際バイトよりストレス溜まるんじゃないかって思った。

 周りに悪気は無いと思ってるが、どうしてまあこう気分をそぎ落としたり、傷つくようなことを平気で言うのだろう。

「ん? なんだ?」

 カバンから携帯の着信音が鳴り響く。

「シューベルトの子守唄か、じゃあ川島さんだな」

 現管弦音系議員をつとめている彼女を思い浮かべながら携帯を開き、メールを見る。

「ん?」

『ごめん、ネタのつもりだったけど気にしたんじゃないかって。言い過ぎたよ、ごめんね。自己嫌悪してます……』

 いきなりの謝罪に驚く。たしかに、今日彼女にからかわれたが、いじったつもりだろうと思ったまでのこと。

 川島さんが気にしてることが逆に気になって、すぐ平気だよと返信した。

 彼女は一見いいかげんで適当そうで気の強い女性だけど、小さなことに気付いて気配りしてくれる。私が傷つきやすいということをわりと最初から知ってたみたいだったけど……。

 こういう気配りが我が箏曲部員は私を含めて見習うべきところ、なんだけどなぁ。

 前管弦の綾瀬さんも、仕事上は頼りなくて私が代わってあげてたことも多かったけど精神面ではそんなさりげない優しさが私の助けになってていつも頼ってたなぁ。

「ああ、いかんいかん。思い出すな」

 綾瀬さんともうかなり会ってないというのに今でも大切に想ってる気持ちは変わらない。思い出せば優しい気分にもなれるが苦しい。

 管弦の定演で姿を遠くから見るだけでもせつなくて胸がしめつけられそうになった。でも、それでも少し姿が見れただけで幸せと感じる自分ももはやその手の病気にかかっているのかもしれない。私としては厄介なだけだけど。

「ぷっ」

 ……が、あの人は何せなかなか変な人だったから思いだし笑いできるエピソードもいっぱいある。それがせめての救いかなと思う。

 とくに、あの謝りすぎのメールと電話。何回謝ってるか電話中カウントをとりたくなった程だった。

「そういえば、あの時はなんで謝ったんだろう」

 私は、最後にかわした言葉を思い出した。




「じゃあ、2005年度の音系議員はお疲れ様でした! 2006年度の音系議員はこれから頑張って! よし! じゃあ瑛子ちゃんや錦川みたいに2年連続もいるから、お別れ&親睦の飲み会やるぞー!」

「参加者の人ー」

 ……全員では無かった。

「あれ、綾瀬さん行かないんですか?」

「え、前から言ってくれれば行ったけど……今日は」

 音系議員の半分に満たないメンバーとなってしまった。私としてはグリーの若様や混声の百合谷さん、グルービーの浅井さん、議長さん、サウンドシティの実波さんたちという大好きなメンバーもいるからいいやって開き直ってたけど、本当は寂しかった。

 飲み会に行く人は外で集合と寒い場所にみんな集結した。

 綾瀬さんはどっか他のところに行くはずだったけど、何か言い忘れたのか私に少しだけ話しかけてきた。

「平気?」

「あ、寒いですけど今風邪もひいてないんで」

「ああ……さっき言ってたゼミだけど、たぶん大丈夫だよ」

「だといいんですけど、登録し忘れとかになったら最悪ですし」

「……すみません」

「へ?」

 いきなり謝られて私は首を傾げた。綾瀬さんの顔も申し訳無さそうで、私は何かを確実に謝られてるんだろうけど、心当たりが無かった。

「何もしてあげられなくて、ごめんね」

「え? ああ、もしかして今までのこと総精算ですか? 全然いいですよ。今となっては良い思い出なんですから! 綾瀬さんには本当にお世話になりました」

 綾瀬さんは、何か言いたそうにしたけど、いつもの優しい笑顔になって、お疲れ様と言ってどこかに行った。




 定演まで忙しい日が流れ、その後も就職活動のための準備講習や、いろんな大学の和楽器のサークル集合体でもある学三のイベントなどあまり休みの無いまま私は年末を過ごしていた。

 やっと休みになり、また、少し一人になって寂しかったのか、友人に紹介してもらい以来お気に入りになってた曲を聴く。

 歌詞の内容は元気が出るが、同時にこれも綾瀬さんを思い出す曲ではあるのではある。

 あんなけいっしょにいたのに綾瀬さんに傷つく言葉を言われたことが無い。

 私は自分で言うのもなんだが繊細すぎるのか、傷つきやすい性格だ。他の人なら流してしまうことも流せなかったり。それは長所にも働いているが、短所に響いていると思っている。だから、1年いっしょにいて、特に多くの時間を過ごしたにも関わらず1回も傷つくことを言われて無いのは奇跡に近い。

 いや、しょげてしまうことを言われたことはあったはずだ。本当に一切傷つくことを言っていないのはグルービーさんだけか。

 でも……。

「いいよなー、人数少ないところはこっち(管弦)みたいな悩みは出なくて……」

 何気なくいったつもりだったんだろう。でも、綾瀬さんは私の顔を見るなり。

「あ、ごめん! 人数少ないところはこっちと違う悩みがあるよね、ごめんね、本当にごめんね」

 必死に謝る綾瀬さんが少し滑稽にさえ映って、私は毎回傷つかずに済んだ。

 いつからかな、私は周りにも綾瀬さんとは仲が良いって言われてた。

 付き合ってるんじゃないかという説が出ちゃったけど、それは根も葉もない噂で。ただ、たしかにふと顔をあげると綾瀬さんが傍にいることが多いなって思うときがあった。特に用事があるわけじゃないだろうに、会議の後何かしらで話しかけてきたり。おかげで、私は最低でも一言は綾瀬さんと言葉が交わせて嬉しかった。それは憶えてる。

 私は、なんかもやもやしたものが残りベッドにごろんと横になった。

「暇満喫」

 意味の無い独り言を言いながら、携帯に手を伸ばし、音系やら箏曲やら見逃し連絡が無いか最近のメールをチェックする。

 といえば良いけど、なんか人との繋がりを実感したがっての行動のようにも思えるときがある。

 私はもう21歳だけど、彼氏もいなければ親友もいない。友達だって、私が箏曲の議員ですとか箏曲の部長ですという立場じゃなければ友達じゃないんじゃないかって思うかな。まあ、こんな性格だし見目も悪いから魅力は無いし、しょうがないとは思うんだけど。

 だから人との関わりには消極的なのだ。自分に役割がある上での交流は積極的にできるけど一個人のやりとりだと腰が引けてるようになる。自分に自信が無いわけではないが、自分が人から必要とされているとかいう自信は本当に皆無に近い。

 綾瀬さんに想いを告げる気が全く無かったのもそんな気持ちの欠片はあったのかもしれない。

 笑ってくれるだけで嬉しかったのはたしかだし、今あの人にいる大事な彼女さんといっしょにいられて幸せなら私も幸せと思えた心にも偽りは無い。現に彼女さんのことを悪く言った綾瀬さんを怒ったのは私自身だ。嫉妬はしなかった。とにかく幸せになってほしかったから。

 それでも、後ろ向きな自分を否定はしきれない。

「どうせ、ばれてはいるけど」

 あんなに周りにばれているのだ。察しの良い綾瀬さんにばれないわけが無い。

 ん? じゃあ何で傍にいてくれたんだ?

 普通、自分には大事な彼女がいるのに自分に好意を持ってる女などウザイだけじゃないか? しかもこんな魅力の欠片も無い奴。

『すみません――何もしてあげられなくてごめんね』

 最後に言った言葉……。

 顔をあげると視界に一番に入ってきた少し心配そうに私を見てる優しい目。

 途中から傍にいてくれるようになったこと。

 やっと、今全部がつながった気がする。

「知ってたから、か」

 去年の私はとてもじゃないが普通の状態じゃなかった。自殺しかけたし、気の滅入りでたとえ食べ物を食べていなくても毎日何回も吐いていた。

 綾瀬さんは病的なところにも気付いてたけど、当然気付いたんだろう。私が自分が傍にいると安心した顔になってること、自分が話しかければ嬉しそうに笑うこと。

 好きとか嫌いとかそういう感情の前に、少しでもいっしょに議員をやっている女の子を励ましてあげよう、そんな単純だけど優しい気持ち。

 私はずっと議員としてだから接してた。ただそれだけの淡白な関係だったと思っていた。私がどんなに相手を大事に想っていても。

 議員同士としての付き合いだったことはたしかだったんだと思う。その後連絡をとりあったりもしてないし。

 でも、議員であった頃は気を遣ったり、優しくしたり、心配してあげたり。それが普通だった仲間だと思っていてくれたんだろう。だから、最後にこの後はそうやって接する機会をなくすことを謝ってくれたのかもしれない。

 何だか少し泣けてきた。

 自分が愚かで情けなかったからだ。

 自分には友達だっていない。だって、私が箏曲の議員じゃなかったら、私が箏曲の部長なかったら、この大学の箏曲研究会に入ってなかったら付き合いなんてしないだろうし、仲間だって思わないから。

 なんていう愚かな考え方だったんだろう。

 それをきっかけとして、自分に笑いかけてくれる人を友達と思えなくてどこに友達がいるんだろう。

 そんなに友達であることを疑って何になる?

 普通に心配してくれる人がいる、それはとても素敵なことで、それはどれだけ自分が孤独じゃないことを物語ってくれているのか。

 私は不幸なフリ、可哀想なフリをしていたんじゃないだろうか。

 人の関わりはそれは短いものかもしれない。でもその短い間に出会えたことが奇跡で、その間だけでも自分を心配してくれる人を得たことがどれだけ素晴らしいことか、私はきっと気付けていなかった。

 愚かだったけど、今、気付けて良かった。

 きっとそれに気付けず、絶望して命を絶ってしまう人たちは今少なくは無い。

 気付けた自分を少しは褒めてあげよう。気付かせてくれたみんなをありがたく思おう。

 起き上がってカーテンを開く。

 昨日の大雨は過ぎ去って、今は天気が良い。夜なので暗いけど。

「綾瀬さん」

『すみません』

「嬉しかったです。短い間でしたけど綾瀬さんのおかげですごく幸せでした。それだけで私は充分です」

 私は小声で呟いた。

「これから、ちゃんと私は歩いていけますから」

 大丈夫、一人じゃない。


『箏曲さん、平気? 身体大丈夫? 悲しいとか苦しいとか辛いとか無い?』

 元気の無かった私を心配してくれた綾瀬さん。


『よくがんばったね。いい子いい子』

 私のがんばりを認めてくれた優しい浅井さん。


『どうしたの? 何かあった?』

 私の暗い愚痴すら優しく聞いてくれた百合谷さん。


『瑛子ちゃーん、いっしょにいこー!』

 不安そうな私をひっぱってくれた若様。


『ほーら、これあげようー(頭グリグリ)』

 からかいながらも自分の直属の後輩のように扱ってくれた実波さん。


『瑛子ちゃん、いつもありがとうね』

 何倍も働いているのに私の些細な仕事振りに感謝してくれた議長さん。


『こんなこと話せるの瑛子ちゃんだけだから』

 私を信頼してくれている今の議長。


『こんなことで負けたくないからね、がんばろう』

 状況は違えど逆境に向けてがんばろうと言い合ってくれた今の管弦の川島さん。


『えーちゃん!』
『無理しなくていいよー』
『去年の気苦労が……』

 傷つけられることもあるけれど笑いかければ笑い返してくれる箏曲の仲間たち。


 自分が孤独だと思わなければわかる。自分を心配してくれる人、自分が笑いかければ笑ってくれる人、そんな本当は当たり前だけど優しい人たち、優しい自分の味方がいること。


 嫌な思いをしたって、悲しくたって、辛くたって、そんな人たちに私も笑いかけるぐらいできる。


 あなたは一人じゃない。自分がいるって伝える。それだけでも充分生きてる価値があるんじゃないかな。


 生きてる人にはみんなそんなちっぽけかもしれないけど優しくてあたたかい役割があって。


 ただにっこり微笑むことができれば、そのあたたかな笑顔があればきっと大丈夫。


 だって本当は人は優しくて世界もあたたかいはず。


『すみません』


 そんな何気ない、普通の謝罪の言葉すら優しい世界なんだから。


 みんながそれに気付ければいいね。


〜あとがき〜
 年末に1作品、あたたかいものを残したいと思いました。
 音奏や三角戦記あたりでベタな絆ものとか考案してたんですが、自分の思いから書きました。まあ自伝にするのも微妙だったので音系シリーズ 箏曲さんが行く! の千鳥瑛子の独白という形で。
 これ、よく見ると瑛子の自己満足なんです。でも、それでいいんです。
 自分がどう思えるかで大げさに言えば人生だって変わるかもしれないです。
 いじめを受けた時、私には私という人間を認めてくれる存在があって、乗り越えられました。でも、その認めてくれること自体虚しいと感じてしまったら私はその時すでに死んでいたかもしれない。去年だって管弦さんの何気ない一言で自分が今生きてるんだっていうことそれをはっきり私自身が感じていなかったらきっと自殺は決行されていたと思います。
 去年と言っているのでわかると思いますが、私がこのサイトで普通に創作活動したりチャットしてる間も私は自殺しようと思ってました。でも、管弦さんがきっかけをくれて私は死なずに済みました。そして今、新音系や学三で新しい友達も得て嫌なこともありつつも楽しく過ごしています。きっかけや支えは他がくれるかもしれませんが、要はそれに自分がどう感じ取れるかで変わってきます。
 最後は自分の決断が何でも方向を決めていきます。
 簡単に絶望しないで欲しいなと思います。開き直りだろうが、ヤケだろうが。道を開いてみればいつの間にか光が差してることがある。私はそれを体験してきました。
 私は一時的なものでも幸せは幸せとして喜び、それを糧に次の短くてもあるだろう幸せを信じて歩いていきます。
 2006年が終わります。
 2007年が皆さんにとって良い年でありますように……。