2人―最終話 「その手に掴んだもの〜息吹編」

 

 

 時は12月。すっかり冬だ。吐く息は白い、寒い季節。外は寒いけれど中は暖房がきいていて暖かいもの。

 

「あと、何枚だっけ・・・・・・」

インクやらダンボールやらで独特のにおいのする文連室の印刷機から出てきた定期演奏会のパンフの一部分を見ながら呟いた。

「ふぅ・・・・・・」

長方形の机の上に置いてある残りの原稿を見て、まだ半分だということに気付く。合同イベントほどじゃないがそれなりにあるものだ。

「失礼しまーす・・・・・・あ、平生さん、お疲れ様です」

「こんにちは、平生さん」

「お疲れ様です」

文連室に入ってきたのは2人とも別々の、2人とも私とも他サークルだけれど知り合いの人だった。どうやら奥の方にある白い棚、もとい文連ポストを見に来たようだった。

「平生さんまた一人で仕事??」

「ええ、まぁ・・・・・・」

おかしいな、眼鏡がくもったかな・・・・・・視界がぼやけてる気がする・・・・・・。

2年生なのに本当偉いよね・・・・・・というか働きすぎじゃないかな? だいじょう・・・・・・ぶ!?」

遠くで声が聞こえた気がした・・・・・・。

 

 

 ずっと夢を見ていた気がする

 

古い記憶のような夢

 

日蝕が起きた日の草原を走る幼い自分

 

ただ必死に走ってた

 

何か怖いものにでも追われるかのように

 

何か大事なものを追いかけるかのように

 

暗い空

 

でも・・・・・・

 

でもそこには光がともっていて・・・・・・

 

 

――過労だと思いますよ

――僕もそう思います。ずっと一人で毎日働いてたから、ハガキ書くのとか、ビラやポスターつくったりするのって結構大変なんですし

――それは、ごめんなさい・・・・・・

『誰かいるの・・・・・かな』

――部外者だとは思いますが仲間でもあるので、心配なんで・・・・・・あんまり無理させちゃだめですよ

――そうですね、きっとやらなければ平生さんがやってくれるって甘えてる部分はあったと思います

――自分に厳しすぎるし責任感強すぎて何でも背負い込もうとするから気をつけてあげないといけないんですよ・・・・・・いえ、本当に気をつけてあげてください、じゃないと本当にうちがひきとっちゃいますからね

――気をつけます!!

――はい、じゃあこれで

――練習もがんばってくださいね

バタンと音がした。意識が段々はっきりしてきた。

「ん〜?」

「いっちゃん起きた?」

目を開けてみるとうちの部員の幸子と郁子、真子、沙織、奈々樹――同学年軍団がいた。場所はこのつーんとした香りと一面の白さからしておそらく医務室だろう。それからさっきぼんやりと聞こえた声からあの穏やかコンビがここまで連れてきてくれたのだろうなと思った。

「さっきの人たちが練習室に呼びに来たんだよ“平生さんが倒れた!”ってすごい慌てた感じで・・・・・・」

「ああ、そうなのか・・・・・・倒れたか」

って倒れてたのか私は・・・・・・かっこ悪いな。

「過労だって・・・・・・」

過労か、そういえば最近あんまり寝てなかったしあんまり食べてなかったかな。私の体力じゃ持たなかったというところだろうか。

「いっちゃん、もう歩ける?」

「そうだな・・・・・・」

幸子に促されて、ベッドの下にある靴を履いて、立ってみる。少し歩いてみたが特に問題はないようだった。

「大丈夫、もうなんてことない」

「じゃあ帰ろう!」

「あ?」

「帰るの!!」

郁子が睨むような表情で私を見た。美人の郁子がすごむとなかなかの迫力だ、ここは従った方が身のためというべきか・・・・・・。

「過労で倒れたんだから歩けるなら帰って家のベッドで寝た方がいいよ、その方がリラックスできるだろうし、あと今日摂った方がいい栄養は・・・・・・」

家政科の郁子の説教と栄養講座がはじまった。それが終わると幸子と真子の2人の監視つき(?)で強制的に家に帰された。

 

 

 家に帰ってからはとりあえず寝ることにした・・・・・・だるいのはたしかだったし、母親に『夜ご飯何がいい?』と訊かれたので郁子のメモを渡した時に疲労で倒れたらしいと伝えた。自分のことなのに伝聞形なのはおかしい気もしたが。すると母親にも強制的に寝るよう部屋に押し込まれた。夕食ができるまでは寝とけということか。とりあえず布団にくるまって天井を眺める・・・・・・何か違和感があるような感じがした、天井じゃない、何だろう・・・・・・頭がボウッとして回らない。

もう寝よう・・・・・・。

 

 

 日曜の練習日、いつもの時間に部室のあるキャンパスに向かう。練習は夕方から夜にかけて行うので最寄り駅で降りた時には赤い夕日が私を迎えていた。

「う〜、さて、やる・・・・・・か?」

横断歩道を渡って下り坂を目の前に、伸びをすると、そこに一人の青年が立っているのに気付いた。

「ひろ・・・・・・し?」

私の呟きが聞こえたようで振り返った。それは紛れもなく、宏史だった。なんでここに・・・・・・? 頭の中をフルで回転させるものの理由が見つからない。首をかしげたまま何も言わないでいると、宏史が苦笑してこちらを見ていた。

「息吹先輩、久しぶり」

「あ、ああ、久しぶり」

焦る。いや、焦る必要がないのはわかってるんだけれど、やっぱり相手の意図がわからないし、私はとりあえず必死で、髪や眼鏡をいじって平静を装った。

「っつか、何の用なわけ?」

困惑のせいか、感動の再会というような雰囲気ではない、ぶっきらぼうな話し方しかできない。宏史も苦笑するが、少し申し訳無さそうな表情をしているようにも見えた。

「な、何?」

「相変わらずだなあって」

「相変わらずって何が」

「素直じゃないってとこ」

頭にカーッと血が上る感覚。まったく、こいつもこいつで相変わらず無礼な奴だ。いい加減いつになったら先輩っていう概念がこいつにできるんだ!? そう思わせるような気の抜けた声だった。

「真子先輩にこないだ会ったんだ」

宏史が話を始めた。

 

 

――5限が終わって、学食で夕飯すませようと思って行ったら、真子先輩とばったり会ってね、俺訊いたんだ、サークルどうっすかって。

『相変わらず、いっちゃんがなんとかきりもりしてるよ』

――俺、それで息吹先輩さすがだなぁって言ったんだ。そしたら真子先輩苦笑のような嘲笑のようななんともいえない笑みを浮べて・・・・・・。

『いっちゃんは、今ロンリネスなんだよ』

――俺は“へ?”って訊き返した、というか顔でそう返した。

『いっちゃんは孤独なの。強がって心配かけまいとか奮闘したり、だから周りに頼らなかったり・・・・・・もっとも私たちがいけないんだけど。いっちゃんがさすが、っていうか当別すごいわけじゃなかったんだよ。ただ、人一倍がんばろうとして、がんばって、無理しすぎて・・・・・・今いっちゃんは一人でいろんなものと戦ってるんだよ』

――そう言って真子先輩、いつもなら見ないような、ちょっと冷たい目で俺を見たんだ。

『いっちゃんを追い詰めるのは周りが無意識にかけるプレッシャーなの。“偉いね”とかの褒め言葉ならともかく“さすが”とかそれで当然みたいなこと言わないでくれる? いっちゃんだって一定のものじゃないんだから』

 

 

「真子が、そんなこと・・・・・・」

意外だった。私はそんなふうに周りに、恵那はともかく言ったことなかった。なのに真子がそういうふうに考えてたなんて・・・・・・。

「俺、単純なこと忘れてた」

宏史に視線を合わせる。宏史はいつものへらへらした感じじゃなくて、真剣な表情をしていた。

「どんな強い人だって、弱いところがあるんだって・・・・・・息吹先輩が強い人でも、辛く感じたり、悲しんだりすることがないわけがないんだって思った」

宏史はそう言って、一歩私の方に近づいた。

「息吹先輩のこと、ちゃんと一人の女の子として見てるつもりだったけれど、俺、所詮表面側しか見ようとしなかったんだって、あの、草野先輩とおんなじでさ」

宏史は頭を掻いた、なんか失敗を認めるようなそんな顔をしていた。

「今更だけど、もう1回仲間に入れてください」

「え?」

「俺、尺八以外はやる気ないし、それに、今度は息吹先輩の役に立ちたい」

風の音とか、道路を走る車の音とか・・・・・・全ての音が聞こえない感覚。うれし、かったのかな・・・・・・。

「きっと、俺だけじゃない、ですよね?」

宏史の視線の方を振り返った。そこには、同学年5人組がいた。

「そうそう!」

真子が満足そうに頷いた。

「私たちいっつもいっちゃんに頼りっぱなしだったし」

背の低い幸子が真子の後ろからひょっこり出てきてそう言う。

「同学年同士、強がったりする理由なんて無いよ!」

奈々樹がテンション高めにそう言った。

「もうすぐ代変わりだし、私たちもいっぱいがんばるよ」

おとなしい沙織が頼もしく見える雰囲気でそう言った。

「いっちゃん一人で無理する必要なんかどこにもないからね」

郁子が腕組みをした、威厳ある立ち姿で言った。

「みんな・・・・・・」

「息吹先輩は、一人じゃないんだって」

悔しい、なんだか涙が出そうで・・・・・・。こんなとこで泣くかっつの、まだ演奏会だって終わってない、危うい曲だってあるんだから。

「じゃあ宏史、あんた前やってた課題曲でも演奏会で披露しなさい」

「はーい」

私は夕日の沈む方向にある我が大学の方に向き直った。

「もう必要以上の無理もしないし、強がったりもしない」

深呼吸をする。自分の意志を明確に伝えたいと願ったから。

「力は抜くけど手は抜かないからな! 死ぬ気で練習しろよ!!」

「了解!」

照れくさくて、嬉しくて、テンションがあがってしまったからか、私は大学へ、夕日に向かって走った。みんなもそうなのかいっしょに・・・・・・。

 

 

 

       ―親愛なる友人、恵那へ―

  元気にやってる? 私はもう演奏会直前で忙しい。疲れるけど、疲れるばかりでもないよ。先輩はともかく、これから先いっしょにがんばっていく仲間がいるし、何より好きなことやってるんだしね。

  人のことさ、信じるの諦めさせないでくれてありがとう。

  人ってさ、思ってるより、優しいものなのかもしれない。

  世界は、本来は明るいものなのかもしれない。

  そんな、希望に満ちた考えも少しはできるようになった。ま、シビアな面を捨てきるわけにはいきませんがね。

  恵那、あんたと会えてよかったよ。

  あんたもがんばってね、私も私の仲間といっしょにがんばるからさ!

 

  それじゃ、またいつの日にか・・・・・・。

息吹より

 

追伸:次の日曜12時から演奏会なんだ。よければ・・・・・・。なんせお客少ないからさ、宣伝宣伝。

 

 

 

 

 これは、三味線が好きな、自分のあり方をずっと悩んでいた強がりで、本当は寂しがりやの女の子のお話・・・・・・。