2人―第5話 「同じ苦しみと分かち合い〜息吹編」
恵那と話して、草野と会ってどれだけの月日が過ぎただろう。秋風が冷たい。あの時一生懸命やっていこうと決めた。たとえ重荷でも必要な責務は受けてたつつもりでただがむしゃらに走るように日々過ごしてきた。
――考えが甘すぎたのかもしれない・・・・・・
私は三味線とかばんを持って家路についているところだった。辺りは暗い。都会なのに人通りが少ないその光景は寒さと不安を誘った。
「がんばってる・・・・・・けど・・・・・・」
私は意外に多感なのかもしれない。決断を下したあの日から迷わないはずだった。でも、そんなに上手くいかないものなのかもしれない。私はまた自分の中の窮地に立たされた気分だ。
――辛い
あんなに楽しくやってきたはずだったのに、段々三曲研究会という場が私にとって苦痛に変わりつつある。
「やってらんないな・・・・・・」
とぼとぼと歩く。街灯の灯が雑貨屋のガラスに私の姿をぼんやりと映し出す。背が伸びたわけでもない、太ったり痩せたりしたわけでもない。髪だって長さは大して変わっていない。それなのに、そこに映っている姿は私では無いような気がした。以前の私の生気の漲った目はもう戻ってこないんじゃないか、そんな気が毎日朝鏡を見て思っている今だ。その魂が抜けた器のような自分の姿には悲しくなる。
「だめ・・・・・・かな、もう」
私がそう小さな声で呟くと携帯の着信音が鳴る。この曲は“ノクターン”だっけな・・・・・・ピアノ曲で・・・・・・。
「・・・・・・恵那?」
恵那だった。初めて会ったあの日、番号・メールアドレスは交換したんだった。でも私も恵那も別段連絡を取り合うことは無かった。だからいきなり恵那から電話がかかってきて驚いた。
「そう、恵那。息吹ちゃん、大丈夫? 声、元気なさそう・・・・・・」
「練習で疲れたんじゃないかな。気にしなくていい」
「嘘ばっかり」
恵那が少し呆れたような声でそう言った。
「嘘って・・・・・・」
「強がってるでしょ。なんとなくだけどわかるよ」
一度会っただけなのに・・・・・・? 私は不思議に思ったけれど事実強がっている。
「そうだな」
「今帰りだよね? 時間ある?」
「まあ、予定もないし、暗いけれど時間も6時ぐらいだしな」
「じゃあさ、ちょっと話さない? どっかで」
恵那と場所を決める。今は親も普通に家にいるから・・・・・・喫茶店とか食事しながらでも良い気がしたけど、何となく静かな場所が良いということで小学校の前の公園になった。子供が帰った後のあの場所は静かだ。
「じゃあ、今からそこに行く」
「私も行くから」
ピッと携帯を切ってかばんにしまう。不思議とはやく帰りたいのにという気にはならなかった。私はまっすぐ公園へと向かって歩き出した。
「息吹ちゃん! ごめん待った?」
電灯がついてはいるもののぼんやりとした、暗い公園のベンチに座っている私に恵那がかけよる。柔らかそうなカーディガンを着てはいるものの恵那はなんとなく寒そうに見えた。
「いや、べつに」
そう答えて社交辞令のように、まるで決められているかのような反射的な笑顔で答える。恵那は苦笑するかのような表情だった。
「やっぱり、疲れてるね息吹ちゃん・・・・・・」
「そんなことは・・・・・・」
言いかけて止まる。そう言う恵那の方こそ元気がない。私の心配をしているから余裕があるのかと思ったけどそんなことは無さそうだと思った。
「私こっちに座ろうかな」
恵那が私の座ってるベンチのすぐ近くにあるブランコに座る。ベンチに腰掛けられるスペースはあるのだが私が三味線を置いてしまっているので気を使ってくれたんだろう。
「どう? サークル楽しい?」
恵那が切り出す。私は恵那の方を見るわけでもなく、ただ溜め息で返した。
「・・・・・・辛い?」
「いや、べつにそういうわけじゃ・・・・・・」
「嘘ダメ」
恵那に全否定される。
「・・・・・・辛いかな。上手くいかない。がんばってるつもりなんだけど」
「つもりじゃなくてがんばっているよ息吹ちゃんは」
「そう・・・・・・」
少し沈黙が流れる。
「恵那は? どう?」
「ん〜、可もなく不可もなく・・・・・・」
空を見上げるような体勢で私が尋ねると恵那はそう返した。明らかに苦笑交じりだ。
「恵那こそ嘘・・・・・・」
「う〜ん、でもサークル自体は本当にそんな感じ。まあ、傷はそう簡単には癒えないってところなんだろうね」
キイッとブランコの音がする。
「今更だってわかってるんだけど、ここに雄介くんがいたらなあって考えちゃうんだよね、我ながら未練がましいっていうか・・・・・・」
「未練がましいなんていうなよ。それだけ、その、想ってたってわけで・・・・・・」
ブランコをこぐ音が聞こえる。静かな夜の公園ではその音はすごく寂しげに聞こえた。
「よくさー」
私が言葉を紡ぐとブランコのきしむような悲しげな音が止まる。
「人1人の力なんて世界では小さすぎて何もできないみたいなこと聞くけどさー」
恵那に背中を向けたまま話す。とてもじゃないが後ろを見れない顔をしているから。
「人1人にとっては人1人の影響力って絶大だよな」
何か感極まってしまって周りの様子のことが頭から無くなる。そっと頬のあたりを撫でられるような感覚に驚いた。
「息吹ちゃんって意外と・・・・・・泣き虫だよね」
「うるさい!」
ムキになって振り返った。
「あんただって泣いてるじゃんか」
恵那は笑顔をつくろうとしている表情だったけど明らかに泣いていた。
「・・・・・・恵那といるの・・・・・・嫌だな」
「え?」
「なんか私弱くなる」
「そうなのかな?」
「ああ」
私は潤んでる目をこすってまた空を見上げた。
「いっしょにいる時間が長くてそれなりに付き合いが深くなっていくこと、昔はただそれがいいことだって思ってた」
「うん」
「でも付き合いがある程度ある人っていうのはお互いにだろうけど“期待”が生じる。助けてくれるんじゃないかとか、この人はこういう人だからきっとこうするに違いないとかね。周りの人、大体私に“強いくてしっかりしている子”を期待するから私強がるんだけど、恵那とじゃそうも・・・・・・ね。今までずっと、それを期待されてた」
晴れてはいるものの都会だからか星の見えない夜空に大学に入ってから今までの出来事が浮かぶような気がした。
「最初は三曲で必要とされてるって感じで嬉しかった。だから期待に応えようってがんばった。がんばってこれた。でも、期待に応えれば周りは更に他のことまで期待する。最近は無意識なんだろうけど、でもその期待が大きすぎる。もうそこまでできることは無理だし、もう限界・・・・・・」
たくさん曲もやった、イベントにも毎回たくさんの曲を持って参加した。でも、私にも不可能はたくさんある。でも“平生さんはできるでしょ?”みたいなノリ。なんで周りはやらないで私にだけ? 私なら全部できるとでもいうの? でもできなければ責める。思いたくなかったけど何で私だけこんなめに・・・・・・って。
「そんなに背負いこまなくても・・・・・・」
「わかってるんだけどね、私は不器用なんだよ」
笑って返す。きっと自嘲的な笑みだろうけど。顔を見られないようにと今度は下を向いて話す。
「私ね、小さい頃から親友とかいなかった。親しい友達なんて一人も。仲良しきどっててもそれは上辺だけ。だから私は人を信用しない
できないしする気も無い」
小さいころからの記憶。本当だ。普段は仲良さげにしてくれる人もいたけど、いざ私がいじめでも受ければ私の周りから逃げる。あまつさえいじめに加わる。私は仲が良いと思っていた友人に何度もそういう裏切りを受けた。学習能力というものが人間には備わっている。そうやってきて20歳にもなれば絆だとかそんなもの周りに期待もしなくなる。基本的に他人は敵だ。どんなに深い付き合いがあろうとも敵だ。
「だから人への頼り方もわからない。頼れるのは自分だけ。自分に課せられた課題をこなすのは自分たった一人」
私は恵那を見ないまま言葉を紡ぐ。恵那がどんな顔をして聞いているだろうとも思ったけど見たくなかった。こんな弱くてどうしようもない自分。そんな姿晒してるだけで苦痛なのに、嫌そうな目で見られているのを、それの確証を得るのはごめんだった
「だから弱いんだろうね。もう私は守りの体勢に入っちゃったんだよね。自分を守るのも自分だけ。でも、せめて自分の存在意義は欲しいって願う」
「存在意義?」
「私が、平生息吹っていう人間が存在している意味。この世に存在する価値の証」
親友がいればこんなにがむしゃらになって探さなかったかもしれないそれ。
「親は例外だけど私は誰かに愛されたこともないから、何かをしてないとこの世にはいらない人間」
膝にある両手が拳をつくって、つよく握った。生まれつき硬い爪がくい込んで痛みがある。
「だから周りの期待に全部応えないと、そういう人間じゃないと私は、生きてく価値なんてない・・・・・・そういう強迫観念。生きてく限りずっと繰り返されるんだろうね、この辛さも。人を信頼できればいいけどきっとそれは無理だから。もう諦めたこと・・・・・・」
「でも信じたいよ」
恵那が震えるような声でそう言った。私は視線を上げてみた。
「信じたいでしょ?」
恵那はすごく悲しそうな顔をしていた。泣き顔ではないでも泣き顔よりずっと辛そうに見えた。
「周りが信じられなくて一人になって、でも寂しいから、本当は人を信じたいから辛くなって・・・・・・」
恵那の話を呆けたような感じに聞いていた。聞き流しているわけじゃないけれど私の表情はきっとそんな感じだろう。
「人を信じること、本当に諦めてたら、もう一生一人だって思ってたら、きっと人を好きになったりしないと思うから」
「私はべつに・・・・・・」
「ううん、そうわかるもの」
何故かムカつく気がした。いや、理由もわかる。付き合いも浅い恵那に私の心情がわかってたまるものかって思った。三曲にもいる、他の知り合いにも。私の気持ちをわかったように言ってくる人が。それはすごく腹ただしいことで・・・・・・。
「私と同じ・・・・・・だから」
「え?」
恵那の答えは今までの知った口をきく人たちとは違った。私は恵那の言葉を遮る気など起こらず、むしろその逆で、待った。
「私も小さいころからそんな人付き合いだった。でも、いじめられたりはしたことない。それを避けるために自分の意見をずっと殺してた。それで自分を守ってた」
恵那が伏目がちにしているのが記憶をたどっている感じだった。優しいように見えてでも、悲しい表情だった。
「私は本当の友達が欲しかった。でも意見を殺す癖がある私にはそれは到底無理な話だった。上辺の付き合いになっちゃうからね」
恵那が視線を上げる。目があったがお互いそらすことはしなかった。お互いの目は合ってるものの遠くを見ている気がした。
「でも、人間の性なのか、ただ私がそうなのかはわからないけど、信頼できる人を、信頼し合える人を求める・・・・・・好きな人に求めてるものもね、もちろん好きになってもらいたいなって思うけど、それよりずっと、自分をわかってほしいって、その上で信頼関係がつくれたらって夢見るの・・・・・・」
恵那は寂しげに笑うと首をかるく横に振った。
「無理・・・・・・だったけど・・・・・・」
「私も・・・・・・無理だった・・・・・・」
宏史に言われた言葉・・・・・・“息吹先輩は強い”そんなこと、決して無いのに・・・・・・あいつだけはそれをわかってくれるんじゃないかって密かに期待してた。でも、無理だった。あいつの前でも私は強がってばっかりだったんだろうから・・・・・・。三曲で、わかってもらえることなんてきっと最初から無理だったのかもしれない。
「ね、息吹ちゃんはもう人を信頼すること諦めたって言ったけど、やっぱり・・・・・・ううん、やめ」
「え?」
恵那が途中で言葉を紡ぐのを放棄したのに意表をつかれたといった声をあげてしまった。
「いくら私が息吹ちゃんと同じような考えで苦しんでても私は息吹ちゃんじゃない。だから私の意見に同意を求めるのも変な話なの」
「それは・・・・・・そうだな。私たちはなんにしろ他人だ」
「そう、他人。違う存在」
「でも、でも恵那、あんたは他人だけど」
私がそう言うと恵那は首を傾げた。
「あんたのこと敵だなんて思わない。私たちは他人だから、違いがあるから気付けることもあるんだって・・・・・・そう思った」
そう言いながら腰をあげる。笑顔をつくったつもりだけど笑えてるのだろうか私は。
「他人だからぶつかることも共感できることもあるんだね、当たり前なのになんか今ようやくわかったって感じ」
私がそう言うと恵那が笑った。私もつられて笑顔になった。今は笑ったはずだ、私も。
「じゃあ、もう遅いし・・・・・・そろそろ帰ろう。今日話せてよかった」
「私も・・・・・・それじゃ」
恵那と手を振って別々の方向に歩き出した。
「息吹ちゃん!」
「え?」
「愚痴きくぐらいは私でもできるから! いつでも、あ、都合悪いときとか当然あるけど言ってね! 息吹ちゃんの話聞いたり、話聞いてもらうとなんだか暗くなるけどでも、前がすっきりする感じがするから!」
恵那が明るい声でそう言った。少し小さい声で“言いたいって時だけでいいから”と付け加えた。私にそうしなきゃいけないっていう強迫観念を植え付けないようにとの配慮だろうと思った。
「恵那もな! じゃあ!」
そうやって別れた。
もう少し、もう少しだけ、人を信じること諦めないでいこうかなって思った・・・・・・