1話『我ら解決屋』

 

 

 

 都内某所。都会というより自然が程良くある、散歩などすれば気持ちの良さそうな公園。穏やかな昼下がり。

「待て―――――っ!!」

 その穏やかさをぶち破るように男の大声と忙しない足音が響き渡る。その男の一直線上には白い首輪をしたブラウンの毛並みの猫がいた。スライディングし、男が猫を抱きあげる。

「よし! つかまえたぞ!」

 男はニカッと笑う。

「フニャ―――――ッ!!」

「なっ! いたたたったたっ!」

 猫が暴れて男の手を乱れ掻きする。男は痛みに猫を離してしまう。白い手からは赤い血が3本の線になって出ている。

「あ、こらぁっ! 逃げるな猫!」

 猫はそんな男の言葉も嘲笑うかのように草むらに突っこんで行ってしまう。

「あーあ、何やってんのさ。逃げちゃったじゃない」

 猫に逃げられた男の背後からそよ風を連想させるような爽やかな声でそう言いながら、比較的ゆっくりした足取りで更に別の男が出てくる。茶色の手触りの良さそうな髪、ほっそりした身体、男性にしては少し低めな身長と優しげな顔立ちからは中性的な印象を受ける。

「何だ紫苑! その使えないなとでも言いたげな目は! 大体なんでおまえ、ゆっくり歩いてるんだよ! おまえも追っかけろよ猫! 俺がこんなに一生懸命仕事してるのに!」

 男が立ち上がり、背後から現れた男、紫苑に文句を言う。怒鳴ってはいるが声質は耳障りの良いものだった。顔に少し土がついているものの、よく見るとなかなか端正な顔立ちをしている。癖っ毛なのかセットなのかわからないほどの自然なカールをしている黒い艶やかな髪、白い肌のせいか、かっこいいとも言えるが綺麗という表現も似合う。

「見ろよ! おかげで猫にもひっかかれたぞ! 血が出てる!」

 男は、血が出た手を見せつけるように出す。

「あー、地味に痛そうだね。まぁよかったじゃない、取り柄の顔ひっかかれなくて。本当唯一の取り柄だからね」

「おまえなぁ、良かったな『頭脳担当』という役目があってよぉ! なかったら今頃瞬殺もんだぞコラァ!」

 男が紫苑の胸元を掴みあげる。身長差のせいで見上げているが紫苑のタレ目には恐れなど一切なく、むしろ余裕の色を浮かべている。

「嫌だなぁ、これだからチンピラあがりは。手出せば済むって感じ? 低脳なんだよ、は・や・と・く・ん?」

「おまえ、マジでしめてやろうか……」

「もう、2人ともやめて下さい」

 ガサガサと草むらが音をたてる。すると、長くまっすぐな黒髪を風にそよそよとゆらした女の子が出てくる。ふっくらとした丸顔にぽっちゃりした姿は平安時代の姫君を思わせる、纏っているのは洋服だが。今時な感じのしない、おとなしそうな服装のせいか名家のお嬢様と言われても納得する雰囲気を出している。成人男性2人の喧嘩にも全く臆せず2人の傍に寄る。手には先ほどの猫を抱えていた。

「猫さんは無事保護しましたから。隼人さんも紫苑さんも無駄に言い争いしないで下さい」

 女の子がそう言うと、隼人は紫苑を離した。

「すみませんでした! お嬢!」

「いいえ。隼人さんは素直ですね」

 女の子はそう言って笑顔で隼人の頭を撫でた。どう見ても女の子の方が年下なのに、隼人は頭を差し出しており、あまつさえ嬉しそうな笑顔を浮かべている。

「ほんと、駄犬って感じ」

「なんだと、この性悪キツネ男!」

「はいはい。隼人さん、駄犬っていうのは雑種犬って意味で別に悪い意味じゃないと思いますよ? いいじゃないですか、犬さん、可愛いですし」

――犬自体は悪くないけど、人間に対して「この犬が!」って言ったらやっぱり侮蔑のはずなんだけどなぁ。

 紫苑はそんなことを考えて静かにツッコミを入れていた。

「ああ、怪我したんですね。じゃあ事務所に戻りましょう。事務所なら救急箱ありますし」

「いやぁ、舐めてればいいんじゃないんすかね、出血も多くないですし」

「ダメですよ、雑菌入ったら化膿とかしちゃいます」

「依頼された猫も見つかったことだし、どちみち事務所に戻らないと。みずたまちゃん、猫は暴れたりしなそう?」

「はい、おとなしいですよ。じゃあ隼人さん、紫苑さん、事務所に帰りましょう!」

 

 

 

 みずたまとはもちろん本名ではなくあだ名である。彼女の名前は湖 珠姫(みずうみ たまき)。都内の私立女子大に通う大学3年生である。実家を出て一人暮らしといっても娘を大事にしている父から充分すぎる仕送りは貰っているのだが、今はバイトに従事してもいる。

彼女のバイト先は「火弓解決屋事務所」である。お客――彼女たちは依頼主と呼ぶ――から受けた依頼を解決する為に動く、何でも屋のようなものだ。今回はいなくなってしまったペットの猫を探してほしいというものだった。ちなみに、珠姫はもう事務所では半年働いている。

事務所の所長は経営側に回っているとのことで解決に表だって動くことはない。実際に動いているのは珠姫と隼人と紫苑の3人だった。

隼人のフルネームは風野 隼人(かぜの はやと)。現在28歳。以前は埼玉の町工場で働いていたらしいのだが、工場が潰れてしまい、いろいろあって今に至る。彼は工場では真面目に働く普通の青年だったが、子供の頃から不良で群れるのを嫌う為一匹狼だったが喧嘩に明け暮れていた。腕っ節は強く、地元では有名な喧嘩番長だった。ある夜、鉄パイプを持った10人を超えるチンピラに絡まれていたのだが、たまたま通りかかった珠姫が結果助けることとなり、彼は珠姫に恩義を感じている。その為、彼女をお嬢と呼び年下にも関わらず敬語で話している。恩を返すため珠姫を探し、偶然話しているところを見た所長の提案で雇われ、家もなかったので事務所で暮らしている。事務所では1番新米で働きだして3カ月である。黙っていれば容姿端麗と表現される美形なのだが自覚がないため言動が全く二枚目にはならず、少々頭が弱いのが難点である。

紫苑のフルネームは木原 紫苑(きはら しおん)。現在隼人と同じく28歳。東京大学を首席卒業し、大学院で博士号も取得と秀才である。以前は、人と関わることに対してかなりの苦手意識があり、在宅の仕事や株で生計をたてていた。学会で偶然会ったことがある所長に声をかけられ、何となく事務所で働きだした。当初はとっつきにくく、冷たい人間だったが、珠姫といろいろあり、今では多少ひねくれているものの、柔らかくなった。体力派な隼人と正反対でもあり、しょっちゅうからかって喧嘩の原因を生み出すが、彼なりに隼人のことも信頼しているし信頼されてもいる。中性的な印象の持ち主で、全体的に可愛らしいと思わせる容姿をしているが隼人と同じく本人無自覚である。

3人は見た目のタイプも得意な分野も性格も違うが、様々な経緯があり、見事な結束を見せている。

 

 

 

2階建てのグレーで特に突出したデザインでもない建物。2階の看板には「火弓解決屋事務所〜あなたの抱える問題何でもお引き受けします〜」と書かれている。ここが珠姫たちの本拠地、事務所である。ちなみに1階は喫茶店である。

「ただいま戻りましたー」

 珠姫、隼人、紫苑が声を揃えて言いながら中に入る。玄関傍にはトイレ、浴場に続くドアが見えその向こうに窪んだようにキッチンがある。部屋の中央にガラスのテーブルを挟んでソファーが両サイドに並んでおり、そして奥に大き目な白い机。上にはパソコンやら分厚い本やら書類やらが乗っかっている。その向こうには長めの黒髪をアップにした女性が座っていた。

「お帰り。お、見つけてきたんだね、さすがだ」

 女性が立ち上がり、珠姫たちの元に歩み寄る。身体にフィットした黒い服装が彼女のスタイルの良さをわかりやすく示している。勝気そうな顔の美人だった。

「八千代さん、依頼主さんへの連絡は……」

「ああ、それなら飛鳥にやらせるよ、飛鳥、飛鳥ぁ!」

 八千代と呼ばれた女性が奥の部屋に続くドアに向かって声をかける。すると、はーいという透き通った男性の声がした。程なくファイルを持った長身でかなり細身の青年が現れる。

「八千代さん、何でしょう?」

「あんたこの猫の件の依頼主に電話で猫が見つかったこと報告しておいてくれる? あと猫を引き取る日時も相談して」

「かしこまりました」

 そう言うと、八千代の机の隣にある小さい机のファイルを取り出しつつ、同じ机に乗る電話を手にとり、言われた最新の仕事をはじめた。

「さて、他の依頼はまだきてないし、3人とも待機」

「了解です。じゃあ隼人さん、怪我の消毒しましょう」

「あ、はい。わざわざすみません」

 八千代も元いた机に戻り、隼人と紫苑は入り口から向かって左側のソファーに間1人分のスペースを空けて腰掛ける。そのスペースには救急箱を持ってきた珠姫が座った。

 珠姫が隼人の怪我の手当てをしているのを見、紫苑はソファーのひじかけにもたれて頬杖をつきながら八千代、飛鳥をぼんやりと眺めた。

 八千代のフルネームは火弓 八千代(ひゆみ やちよ)。現在35歳。火弓家と有名な資産家の出で、経営の才能に恵まれた彼女は若くして起業し成功を収めた。自力でもかなりの財を築いた彼女は、ふと思いついたようにこの犯罪に手をそめない内容であれば依頼は何でも引き受けるという火弓解決屋事務所を立ち上げ、社長の座を弟に譲った。今も顧問としていろいろ手伝ったりはしているが。珠姫とは父親も含め以前から付き合いがあり、事務所でアルバイトしないか誘ってみたのだ。また、紫苑とは学会で会ったことがあり、彼の優秀な頭脳、情報収集能力を買って、事務所に招いた。飛鳥も事務所設立時に個人的に雇った。設立時のメンバーはその4人、後に隼人も雇い現在の5人のメンバーで運営している。男勝りでサバサバした姉御肌の性格で、スタイルの良い美女である。

 飛鳥のフルネームは土井 飛鳥(どい あすか)。現在25歳。八千代の会社で秘書として働いていたが、八千代に声をかけられ、この事務所で働くことに。働く場所は変わったものの、八千代の秘書という立場は変わらない。若いがテキパキと仕事ができる人材で優秀な秘書といえる。また非常に器用で家事全般を得意としており、料理はかなりの腕前でもある。卒業した大学も一流どころで頭も良い方なのだが、本人「紫苑さんの足元にも及びません」と言っている。紫苑もツッコミ役になるが、事務所メンバーで最も常識人な為1番のツッコミ役といえば彼である。しかし、八千代に対して一言多いこともあり、彼女に重い本を投げられたり、殴られたり、アイアンクローをきめられたりしている。180cmを超える長身だがかなり細身で八千代にも「ひょろっこすぎ」と言われている。鮮やか過ぎない茶髪で今風で顔立ちは平凡だが爽やかな笑顔の似合う好青年である。

 また視線を動かすと、珠姫は優しい手つきで隼人の手当てをしていた、隼人といえば、パタパタと降る尻尾が見えそうなぐらい、珠姫に従順である。馬鹿っぽくもあるが微笑ましく映る。

――他人を見て、穏やかな気分になるなんて、僕も変わったな

 紫苑はそんな風に思いながら、事務所の日常を過ごしていた。

 

 

 

 夕刻。

コンコン、とかなり遠慮がちなノックの音がした。

「はいはい、今開けますねー」

 飛鳥が足早にドアへと駆け寄り、ノックの主を驚かさないように、丁寧な動作でドアを開ける。

 すると、そこには肩につくかつかないかぐらいの黒髪で少し顔を隠した、色白で細い、儚げでいかにもおとなしそうな女の子が立っていた。

「こちらは依頼者様のお悩みを解決する火弓解決屋事務所ですが、私たちに御用でお間違いないですか?」

 飛鳥が優しげな笑顔を浮かべ、話しかけると、女の子はゆっくりと頷いた。

「かしこまりました。皆さん、依頼者様がいらっしゃいました。中にお通ししますね」

 飛鳥は女の子を紳士的な動作でエスコートし、珠姫たち3人が座っている場所の向かいのソファーを勧めた。女の子は不安そうにおどおどしていたが、目が合った珠姫がにっこり微笑みかけ、少し安心したのか、勧められた場所にそのまま腰かけた。

「えっと、まず貴女のお名前をお訊きしてよろしいですか?」

「雨宮 沙織(あまみや さおり)……です」

 珠姫が問いかけると、消え入りそうな声で女の子、沙織が答えた。

「雨宮さん、どんなお悩みがあるのでしょうか?」

「はい……私の友達のことで……」

 沙織は少し戸惑いがちな様子で話し始めた。

「悠木 綾(ゆうき あや)って子で……私、今高校1年生なんですけど、クラスメートで。引っ込み思案な私に話しかけてくれて仲良くなったんですけど……連休明けぐらいかな、様子がおかしいっていうか……妙によそよそしくなっちゃって。私、仲の良い友達なんて綾ちゃんしかいないし、どうしたのかなって……」

「それで、その悠木さんって子の様子のことを調べてほしくてうちに来たってところですか?」

 珠姫の問いかけに沙織は頷いた。

「うーん、でもそれってその子に直接訊けば済むって感じだよねー」

 隼人が能天気にそう言うと、紫苑がはぁ、と溜息をもらす。

「これだから君は。それができなくて悩んでるんだろ? 少しは考えて物を言いなよ、相変わらず頭が足りないなぁ」

「んだと紫苑!」

「はいはい! ストップ!」

 紫苑に喰ってかかる隼人を珠姫が制する。

「よし、事情はわかったね」

 机のところからソファーに歩み寄りながら八千代が言う。

「うちは依頼者様の悩みを何でも解決するのが仕事。ご安心を。貴女の依頼、火弓解決屋事務所がたしかに承りました。ここにいる3人が責任をもって解決にあたりますから」

 八千代がソファーにいる3人を指し示す。

「申し遅れました、私は湖 珠姫です」

「俺は風野 隼人」

「僕は木原 紫苑」

3人とも優秀な解決屋だから安心して下さい。お代に関しては依頼が解決した後御相談という形になります。高校生とのことですし、安く抑えときますのでそちらもご安心を」

 八千代が人差し指を立てて、ウインクしてみせる。

「ありがとうございます……あの、よろしくお願いします」

「まかせて下さい!」

 沙織が頭を下げると、珠姫、隼人、紫苑が口をそろえてそう言った。

 

 

 

 空はすっかり橙色に染まっていた。

珠姫、隼人、紫苑の3人は沙織を家まで送り届けることにした。沙織の家は事務所から少し離れた住宅街にあり、都内ではあるものの、一軒家の立ち並ぶ都会の喧騒とは離れた場所のようだ。

「雨宮さんはこの近くの高校に?」

「はい。私はずっとここが地元ですから。綾ちゃんは高校生になるのと同時にこの辺に引っ越してきたって言ってましたけど」

 自分と同じくおとなしそうな外見の珠姫に対しては安心感があるのか、沙織はだいぶ詰まることもなく受け答えした。

「じゃあこの辺には詳しいんですね」

「はい、昔から散歩するのも日課で……それで、事務所の前も通ったこと何度もあって、相談してみようかなって……私なんかの悩みにつきあわせてすごく申し訳ないんですが」

「いいえ、悩みは抱えてると良くないですから。雨宮さんが気にすることは何もありませんよ」

「珠姫さんって何か落ち着いてますよね……中学はどちら……あ、仕事してるってことは高校生でしょうか」

 珠姫は少し困ったようにすぐ後ろを歩いている隼人と紫苑を見る。隼人も困り顔をするが、紫苑はくすくすと楽しそうに笑った。

「雨宮さん、彼女はこう見えてももう大学生で、今年で21歳だよ」

 紫苑がそう言うと、沙織は口を両手で抑えて、珠姫をまじまじと見た。

「ご、ごめんなさい! 私、てっきり年下だと……」

「いえ……気に、しないで……下さい……」

 そうは言いながらも珠姫は少ししょげたようだった。

「あ、ここです」

 沙織は雨宮と表札の出されている2階建ての一軒家の前で立ち止まった。

「すみません、わざわざ送ってもらっちゃって」

「いえいえ……雨宮さん、その調査対象の悠木さんの写真とかってある?」

 紫苑が沙織に問いかける。

「はい。そうですよね、名前だけじゃ調査しにくいですよね、部屋からとってきます」

「あ、あと、悠木さんに貰ったものとかなにか悠木さんに関係あるものも持ってきてもらうっていうのは可能ですか?」

「はい……お誕生日に貰ったハンカチならありますけど……それが何か……」

「あ、えっと、調査に使うんですよ」

 そんな珠姫に沙織は疑問符を頭に浮かべたようだったが、それもとってきますと言い、1回家へと入っていった。

 

 

 

 少しして、珠姫たちは沙織から綾の写真、綾から貰ったハンカチを受け取り、沙織と別れた。3人はまっすぐ事務所へと戻った。事務所に戻った頃には日もすっかり落ち、辺りは暗くなっていた。

「この子が悠木 綾さんってことか」

 定位置のソファーに腰掛け、綾の写真を見た紫苑が呟いた。

「雨宮さんの友達っていうわりに印象随分違うよな、ギャルとはいかないまでも派手めな感じ」

 隼人がソファーの後ろから紫苑越しに写真を見ながら感想を言う。綾は、明るめの茶髪でふんわりカールさせた長い髪をしていた。化粧はしていないが、目鼻立ちのはっきりした顔立ちもあり、おとなしい清楚な印象の沙織と比べると明るく華やかな印象を与える少女だった。

「まぁ見た目の印象だけだよね、明日から調査すればいろいろわかるとは思うけど、まずはみずたまちゃんに少し人柄について問いだしてみてもらおうかな」

 紫苑はそう言って、自分の向かいに座っている珠姫に視線を移す。

珠姫は例のハンカチを手にし、瞑想するように目を閉じていた。

問いだすといっても、ここは解決屋の事務所。当然綾がいるわけでもなく、綾に電話するわけでもない。問いだすのは“このハンカチ”にである。

「一生懸命……雨宮さんが好きそうなのを選んだ……雨宮さん、喜んでる……見守るような笑顔……」

 珠姫はそう淡々とした声で言うと、ゆっくりと目を開けた。

「悠木さんは明るい感じで、面倒見の良い女の子みたいです。いつも俯き気味な雨宮さんを放っておけないみたいで……こう笑顔にしてあげたいなって思ってるみたいです」

「本当、ここに来て数カ月経ちますけど、お嬢の能力ってすごいっすよね。ハンカチ1つでそんな人柄見えちゃうんですから」

 隼人が感心したように言う。これが、八千代が珠姫を「超能力担当」として雇った所以である。彼女には普通とは違う力がある。物から記憶を読み取る能力が。

「まぁ、普通の人とは違いますけど。物の記憶というか思念というか。でも何もかもが見えるわけじゃないですし、動物や植物の気も何となく程度にはわかりますけど、対面してても人の心とかはさっぱりわからないですしね」

 珠姫は写真の横にハンカチを置いた。

「このハンカチ、かなり悠木さんがいろいろ悩んで選んだみたいで、雨宮さんのこと考えた悠木さんの姿が結構映りこんでました。あと渡した時の場面とか」

 珠姫はそう言いながら改めてハンカチを見た。

「淡い桃色、お花や犬さん猫さん兎さんの柄も入ってて優しくて可愛いデザインです。きっと雨宮さんのイメージなんでしょうね」

「良い友達なんすね」

 隼人も珠姫につられてか優しげに微笑んだ。

「でもそれだと、いきなりよそよそしくなるなんて変っすよね。雨宮さんのこと大事にしてるのに、自分が離れてったら悲しむっていうのも何となくわかりそうだし」

「まぁそれは明日から僕たちが調べていけばわかるじゃない」

 考え込む隼人に紫苑が言う。珠姫もそれに頷いた。

「明日って木曜か。となると、みずたまちゃんは夕方以降まで仕事には来れないよね?」

「あ、はい、すみません。講義があるので」

「えー、じゃあ俺と紫苑で調査かよ」

 隼人が子供っぽく頬を少し膨らませて文句を言った。

「隼人さん、すみません……」

「いえ! お嬢が謝る必要は全然ないんです! お勉強頑張って下さい!」

「学生の本業は勉学だからね。でもたしかにみずたまちゃんがいないと潜入捜査は無理そうだな。みずたまちゃんなら制服着ちゃえば高校生で全然通りそうだけど。さすがに僕と隼人じゃ高校生に見せるのは無理だし……」

「あ? さすがにお嬢には及ばなくてもおまえだって年齢よりは下に見えるぜ? 制服着れば少し老けた高校生には見えるんじゃね? チビだし、ほっせーし」

「うるさいな、僕より少し背が高いだけのくせに」

「……というかさっきから2人とも私をさりげなく童顔って馬鹿にしてますよね?」

 隼人と紫苑が、珠姫の低くなった声に冷や汗を垂らす。

「いや! あの、お嬢、俺たちは悪く言ったつもりはないんです! な、紫苑!」

「そ、そうだよ、みずたまちゃん。可愛いって言ってるんだよ?」

 珠姫の周りの空気が何故か波打ってるように見え、2人はびくついた。

「いいじゃない、みずたまちゃん。女の子は若く見える方が得だよ?」

 3人の会話に入ってきたのは、お茶を運んできた飛鳥だった。

「今は、みずたまちゃんは本当に若いからわからないかもしれないけど、女性は若く見せようと日々化粧に凝ったりお肌の手入れしたりするんだから」

 にこやかな笑顔を浮かべながら、飛鳥は3人に紅茶を配る。

「八千代さんなんてもう40が見えてきたから、必死に……ギャー! いつの間に背後から、ぐぎぎぎ!」

 飛鳥が余計なことを言った直後、デスクワークを黙々としていた八千代が飛鳥の背後から頭に手を乗せ、手に思い切り力をこめた。八千代の握力がいくつなのかは不明だが、飛鳥の脳天にダメージを与えることは容易いようだった。

 珠姫はそんな光景にきょとんとするばかりだった。一方、隼人と紫苑は珠姫の静かに不機嫌になった空気がとかれ、安堵の息を漏らしていた。

「今回は僕も迂闊だった。みずたまちゃんに禁句を言うのはやめよう。昼間はともかく、日が沈んだら絶対にね」

「ああ、禁句って童顔だけだったっけ?」

「あと声が幼いもダメ、胸が大きいのを指してもダメだから」

「わかった、気をつける」

 隼人と紫苑がこそこそ話しているのを、珠姫は明日の調査の作戦かなーとぼんやり思いながらお茶を飲んでいた。

 

 

 

 翌日、午後3時半。沙織と綾の通う校門前。学校は都立の高校で特に大きいとも小さいとも言えない。わりと賑やかで放課後、部活動の声や、下校する生徒の声が明るく響き渡っている。

「よ、ご苦労さん、様子はどうだった?」

 校門から歩いて出てきた、この高校の制服姿の紫苑に私服姿の隼人が声をかける。

「悠木さんは見た目ちょっと派手めだけど、真面目ないたって普通の生徒だね。特に変わった行動っていうのはなかったよ。だけど、あまり人と仲良く談笑っていうのは見なかったな。休憩時間、雨宮さんが話しかけてたけど、少し話しただけで離れてっちゃったし、まぁ終始様子が変っていうのは感じたけど」

「変って何が?」

「何て言うのかな、ふと困ったような悩んでるような表情になってたってとこ」

「ふーん……何でだ?」

「それはわからないよ。放課後何してるかとかこれから調べないと」

 紫苑はそう言いながら、自身の纏っている紺のブレザー服を指でつまんだ。

「早く脱ぎたいなぁ、みずたまちゃんいないから僕が結局変装したけど、28にもなってこれはさすがにキツイでしょ」

「いや、わりかし似合ってるんじゃないのか? おまえ、黙ってれば可愛いんだからさ」

「……男が男に可愛いって言われても嬉しくないよ。あ、あれ……」

 平然と恥ずかしいことを言ってのける隼人に嫌そうな顔で溜息を洩らし、紫苑は校門に目をやる。すると程なく、綾が校門を出てくるのが視界に入った。

「よし、後つけるよ」

 綾は1人で俯き気味に歩いていた。速度は大して速くない。後ろ姿を見ているだけでも、あまり元気のある様子には見えなかった。

 少し大き目の通り、交差点に出ると、綾は左へと曲がった。

「あれ? 悠木さんの住所だとこっちじゃないんだけど……」

「どっか寄ってくんじゃねーの?」

「制服のままでねぇ……尾行続けるよ」

「了解」

 綾は、相変わらず俯き気味に歩いている為、隼人も紫苑もわりと堂々と尾行をしているが、全く気がつかない様子だった。

 綾について行くと、そのまま地下鉄の駅へと降りて行った。電車に乗って3つ先、隣の区まで来た。

駅から出て、まっすぐ通りを歩き、工場があるところで曲がり、工場横の空き地に入る。空き地は手入れがされていないのか、荒れた地面に雑草が生えているものだった。何のためは不明だが、かなり重そうな土管もある。空き地には綾より先に1人の男の子がおり、隼人と紫苑は2人から見えないように建物の陰に隠れて様子を見守った。

「ああ、綾、悪いねいつも」

 男の子の声がする。チラッと見たところ、学ラン姿で綾と同じ高校ではないようだった。雰囲気は綾と似た感じで茶髪の少し派手めな印象だった。学ランも少し着崩しており、不良っぽいとも見える。

「ううん、私はこれぐらいならバイト代全部ぐらいで、いいんだけど……章(あきら)大丈夫なの? お金必要って」

 綾が心配そうな声で言う。

「ああ、ちょっと借金がな……綾にも余裕ができたらちゃんと返すから、じゃあな!」

 章が走って空き地を出て行った。残された綾は、深く溜息をついていた。

 

 

 

 日没後。古びた2階建てのアパート前。部屋は3つほどある様子。灯りはまだ1つの部屋にしかついていなかった。

「じゃあ、その章さんという人に悠木さんはお金を渡していたんですか?」

 珠姫が隼人と紫苑の報告を聴き、質問をする。

「そう。バイト代全部みたいだよ」

「あれっすかね、カツアゲ?」

「君ね、あの場にいて感想がソレなの。ただのカツアゲっていうのとは違ったでしょ?」

 紫苑は隼人の発言に呆れたような声を出した。

「で、章さんが怪しいので家までついてきたんですよね?」

「その通り。まぁ張り込みなら引き続き僕と隼人でやっとけばいいんだけどさ……」

 紫苑が背後の珠姫を振り返る。

「みずたまちゃん、これを見てほしいんだ」

 紫苑は階段の傍にあった、バイクを指さす。黒い、オーソドックスなバイクだった。

「僕の予想だと、あの章って奴のだと思うんだけど……闇雲に張り込み続けてるよりは有意義かなって」

 珠姫は紫苑の言葉に頷いて、バイクに手をあて、ゆっくりと目を閉じた。

「茶髪の男の子……たくさんのバイクと男の人……金曜日……夜の工場……空き地……勢いよく流れる風景……」

 珠姫は目をゆっくりと開けた。

「何ていうか、暴走族なんでしょうかね、そんな集会とかバイクで暴走してるような風景が見えました」

「やっぱり不良か……」

「やっぱりって、おまえ、茶髪イコール不良みたいな短絡的な考えしてねーよな?」

「まさか、ただ何となくだよ。大体その考えじゃ僕だって不良になるでしょ、一応茶髪だし、それに飛鳥くんも」

――大体本物の不良が目の前にいるし……。まぁこいつはとても元チンピラには見えないよな。むしろ俳優の卵とかそっちの方がしっくりくる。本当、黙ってれば美形なんだけどなぁ……。

「あ?」

「何でもないよ。それよりみずたまちゃん、さっきバイクから読み取ってる時、金曜日って言ってたけど……」

「あ、はい。たぶん金曜日に集会っていうのがあるんじゃないんでしょうか?」

「そう……じゃあ今日は戻ろうか。ちょっとやっておきたいこともあるし」

 紫苑の言葉、特に最後の方に珠姫と隼人は疑問符を浮かべたが、同意し、事務所へと向かった。

 

 

 

 翌日、金曜日の夜。工場横の空き地。

 バイクを乗り付け、まだぎりぎり少年と言えるぐらいの年齢の男が十数人集まっていた。

「よう、章。会費の方はあんのか?」

 金に近いほどの明るい茶髪のガタイの良い男が章に声をかける。

「はい、これで」

 章は、封筒を男に差し出す。

「お、しっかりあるな。まぁあと少しでおまえも正式なメンバーに加えてやるからよ」

 その封筒を受け取った男と周りの男たちから品位の感じられない笑い声が響く。

「あの、総長……具体的にはあとどれぐらい会費をおさめれば、メンバーになれるんでしょうか?」

「ああ? まだ決めてねぇけどよ。何だ? 金払うのがキツイのか?」

「もし、まだ先が長いようなら……バイト増やすなりしますけど……」

「バイトだ? おまえ、真面目に稼いでんのか? 金なんてそこいらのガキでもおっさんでも殴ってせしめればいいじゃねーか」

 章は言葉にうっと詰まった。

「章!」

「綾!? 何でここに!?」

「え? だって呼び出したのは章じゃ……それより、章、お金がいるってこういうことだったの? 借金がどうっていうのは嘘で……」

「おまえには……関係ないよ……」

「……嘘だっていうのは、何となくわかっていたけど」

 綾の言葉に章が驚いたように彼女を見る。

「いつか事情話してくれると思ってたから……私、章が必要なら助けたいって思った。何でもしてあげたいって思ったの。だって、小さい頃から一緒の大事な幼馴染だもの」

 綾は一度視線を落とし、また顔を上げて章をまっすぐ見据えた。

「ねぇ、でもこんなの必要あるの!? お金払ってまで暴走族になりたいの!? こんなの全然かっこよくも何ともないよ!?」

「何だとこのアマァ!」

 男の怒声に綾は身体を震わせた。

「女の子に声を荒げるのはカッコイイ男のやることじゃーないな」

 綾の後ろから、2人の男が歩いて登場する。

 1人は、体型は一般的な、だがやたらに顔立ちの整った青年。もう1人は、少し小柄で華奢な中性的な印象の青年。解決屋の隼人と紫苑だった。

「章クンとやら、この子はこんなに君のこと思ってくれてるんだ。君も思ってること言った方がいいんじゃないの?」

 紫苑の言葉に章は、戸惑いがちに口を開いた。

「高校生になった途端、母さんが家を出た。父さんの勤めてた会社も潰れて、今のぼろアパートに引っ越して、父さん俺のことなんか気にもしなくなって。学校にも馴染めないし、居場所がないんだよ。こうなったら不良にでもなって、チームに入って、俺の居場所つくろうとした……こうするしかないんだよ」

「そんなの……意味ないよ」

 章の言葉に反論したのは隼人だった。

「お金払って仲間にしてもらってもさ、そんなの仲間なんていえないよ。本当の仲間はさ、同じ思いや理想追いかけたり、お互いに何の利害関係がなくても一緒にいたいって思える……そういうものなんじゃないのかな」

「……っ! でも俺の気持ちなんてあんたには!」

「わかるよ。親にも愛されなくて、友達のつくりかたもわからなくて、1人で喧嘩ばかりしてた。俺も本当はただ居場所が欲しかった。そして、今はこんな俺でもありのまま、一緒にいたいって言ってくれる人が傍にいる」

「俺は……」

「君には、この子がいるじゃないか」

 隼人は綾の肩に手を置いて言った。

「居場所、こんなところに求めなくてもいいんじゃない?」

 章と綾がお互い目を合わせる。

「俺は……」

「うん、章。私は章のこと大事だから。いつだって頼ってくれていいんだよ?」

「綾、俺……」

 綾の元に章が駆け寄る。綾も優しい笑顔で章を迎える。

「おまえら、ナメた真似しくさりやがって」

「あれ? 別に彼、正式なメンバーじゃないんすよね? ならいいじゃないっすか」

「そうだな、正式なメンバーではないな、じゃあそいつボコにしてもおかしくはねぇだろ? 仲間じゃないんだからな!」

 男たちがボキボキと手を鳴らしながら、詰め寄って来る。

「章クン、悠木さん、とにかく全速力で逃げて」

「あなたたちは?」

「俺たちはまぁ、何とかするからさ」

「さ、早く!」

 隼人と紫苑におされ、綾と章は戸惑ってはいたものの、空き地から全速力で走り去った。

「うーん、俺たち正義の味方って感じ?」

「カッコはつけたけどさ、君、さすがに十数人相手に立ち回れるの?」

「いやー? 地元で喧嘩番長とか言われてた俺も2ケタいくとまずいんだよなー」

 かなり絶望的な状況だというのに、隼人と紫苑は表情に恐怖の色1つ浮かべていない。男たちは少し警戒しながらも詰め寄って来る。中には鉄パイプを持っている男もいる。

「あーあ、穏便に済ませたかったんだけどなー」

「隼人さんが出る幕でもないですよ」

 男たちの視線が2人の更に後ろにいく。空き地に入ってきたのは、風に黒髪を靡かせたいかにもお嬢様風な女の子、珠姫だった。

「何て言うか、絵にかいた不良ですよねー。こういうのって漫画とかドラマの世界って毎回思うんですけど、意外にいるもんなんですよねー」

 珠姫は目を閉じたまま、平然として言っている。

「ああ!? テメェ舐めてんのか!?」

「ガキで女のくせに喧嘩売ってんのか!? 正真正銘の馬鹿だな!」

「はぁあ……暴走族の端くれっていうなら、龍波(ドラゴンウェーブ)っていう暴走族知ってます?」

「そりゃー知ってて当然だな。都内じゃ1番有名だったからな。ある日を境に消えちまったけどな」

「そうですか……何で消えたのか知ってますか?」

「ああ? たしか、中学生ぐらいのガキどもボコろうとしたら、目が金色に光って化け物じみた力使う、嵐女(あらしめ)とか呼ばれるようになった女が現れて総長、メンバー全員病院送りにされたとか……女?」

 男たちが珠姫を、じっと見据える。

「あいつらも馬鹿だったんだよな、思うんだけどよ、なんでテメーらって数集まらなきゃ行動できねーんだよ?」

 珠姫の目は相変わらず閉じられている。声が幾分か低くなり、放っている言葉はお嬢様風の容姿にはとてもにつかわしくないほど荒い。

「そーいうの、マジうぜーんだよ!」

 珠姫の目が見開かれる。目は金色に輝いており、彼女の周りには風が吹き荒れる。

「さぁ、どいつからブッ飛ばされたい!?」

 男たちが、目の前の光景に圧倒される。そのうちの3人が勢いよく珠姫に飛びかかっていった。

 珠姫は、1人は腹にパンチ、1人は脚にキック、1人は胸にチョップを決める。女の子の攻撃であれば、通常その攻撃で終わる。だが、珠姫の繰り出した攻撃で、3人が3人とも吹き飛んだのだ。気を失ったのか、3人とも起き上る様子はない。

 その様子を見て、男たちは怯む。しかし、逃走するという選択肢はなかったのか、今度は10人がかりで奇声を発しながら男たちが珠姫に飛びかかった。すると、珠姫の周りに竜巻が起こり、男たちは簡単に吹き飛ばされ、高い位置から地面に叩きつけられる。ぐしゃりと嫌な音、男たちの呻き声がする。

「ああ、テメーが総長か?」

 珠姫が1人、茫然として立っている、金に近い茶髪の男に歩み寄る。惨状を見るまでの威勢の良さは欠片も男には残っていなかった。

「わあぁぁぁっ!」

 倒れていたはずの男の1人が珠姫めがけて鉄パイプを振りおろす。

 だが、珠姫の頭上で鉄パイプは見えない力に阻まれ、攻撃することは叶わなかった。

「背後からとか卑怯な真似してんじゃねぇよ!」

 珠姫が振り向くのと同時に、強い風が2人の間に吹き荒れる。手に違和感を覚えた男が持っていた鉄パイプを見やると、そこには真っ二つにされた鉄パイプがあった。

「寝てろカス!」

 珠姫の繰り出した拳の方向に男は吹き飛び、動かなくなった。

 珠姫はそれを見届け、また総長の男に向き直った。

「大体こういうのって、頭領をつぶしゃ、壊滅するよな?」

「な、な、な……」

 総長の男は口をパクパクとさせ、情けない様子で尻もちをついた。

「なんだよ、骨のねぇ野郎だな。テメーが一応頭なんだろ? だったら敬意表して、他の奴らとは別にしてやるよ」

 珠姫は右手を高く掲げる。すると、空き地の奥にあったはずの重そうな土管が持ち上がって、珠姫の傍まで運ばれる。

「これがどれぐらいの重さか知らねぇけど、ま、結構あるよな。これで潰せば死ぬよな?」

「な、お、お許しを……!」

 男は冷たい目で見降ろしている珠姫を恐怖一色で見上げていた。

1人で何もできねー野郎がよ、思いあがってんじゃねーよ! 死ね!」

 重量のある物が叩きつけられる轟音が響く。

 砂埃も収まり、パンパンと手を叩いて“いっちょあがり”とでも言いたそうな珠姫の姿が現れる。

「お嬢、今日も見事な立ち回りで……」

 隼人と紫苑が珠姫の元に駆け寄る。

「これがあの偉そうに威張ってた総長ね……泡吹いて気絶してますけど」

 紫苑が汚いものを蔑むような目で総長の男を見降ろした。男の顔の横には、地面にめり込んだ土管があった。

「まったくですよね。土管でもって脅しただけなのに情けない。私だって殺しはしたくないですから。犯罪はしたくないんです」

――いや、この時点で傷害罪っていえば傷害罪だから

 そんな常識的なツッコミは飛鳥がいてくれればしてくれたのだろうが、誰も珠姫の言葉にツッコむ人間はこの場にはいなかった。

「お嬢に喧嘩売ったのが運のツキっすよ」

「そうだね。嵐女こと、風の異能者の正体はこのみずたまちゃんだから」

 異能者。それが珠姫のもう1つの姿でもある。普段は珠姫には超能力はあるがただそれだけである。しかし、日が落ちると風を自在に操れる異能を発揮する。珠姫は普段は温厚な性格だが、日が落ちるとかなりキレやすい性格になる。キレれば言葉遣いも荒くなり、目が金色に光り、この異能を使い暴れまくるのだ。名のある暴走族集団をたった1人で壊滅させたことから、「嵐女」と呼ばれ、一種の都市伝説になっている。

「これにこりたら、アイツらもまともに生活してほしいよね」

「どうでしょうね、異能をまともに喰らった人は記憶が曖昧になりますから。覚えてるのは風が吹き荒れる様子と相手の女の目が金色に光ってたこと、それから恐怖だけです」

「喰らったら恐怖かもしれないですけど、お嬢の力はカッコイイんです!」

 隼人が目を輝かせて言うと、珠姫は笑ってみせる。

「さてと、悠木さんたちは大丈夫でしょうかね」

「多分、ね。事の顛末は依頼主から聞けることを願っとこうか」

「じゃ、とりあえず事務所に戻りましょー!」

 珠姫、隼人、紫苑は何事もなかったかのようにその場を後にした。

 

 

 

「あの、本当にありがとうございました!」

 翌々週の月曜日、沙織がお菓子を手土産に事務所へとやって来た。事務所に入るなり、頭を下げて、お礼を言った。

「詳しくは教えてもらえてないんですけど、綾ちゃん、彼氏のことでちょっと悩んでて塞ぎこんじゃってたって話してくれて……前みたいに休憩時間やお弁当の時間、放課後と楽しく一緒にいられるようになって」

 沙織の表情は明るく、今まで見せたことのない楽しそうな笑顔を浮かべていた。

「私にその彼氏さん紹介してくれたんです。綾ちゃんに似合う人でした。ちょっとワルっぽいけど意外に優しい感じで、しかも幼馴染って何かいいですよね! なんか家族のことでいろいろ大変みたいですけど、それも綾ちゃんと手に手をとって頑張ってるみたいで、本当素敵なカップルだなぁって」

「雨宮さんが喜んでくれて良かったです。依頼解決で大丈夫でしょうか?」

「はい!」

 珠姫が尋ねると、沙織は満開の笑顔で応えた。

「よし、じゃあお代の方だけど」

 八千代が沙織に声をかける。

2千円でいいかな。雨宮様、お小遣い的にとか、大丈夫ですか?」

「はい……というか、それぐらいでいいんですか?」

「問題ございませんとも。安く提供できるのが火弓解決屋事務所の良いところですから。また何か困ったことがあったら是非ご依頼下さい」

「はい……本当にありがとうございました!」

 沙織は八千代に代金を渡すと、5人それぞれに頭を下げ、ドアのところへ向かった。

「あ……」

 沙織がドアノブに手をかけ、ゆっくりと振り返る。そして、隼人と紫苑を交互に見た。

「あの、綾ちゃんが、正義の味方が現れたんだって言ってました。その暗くてはっきりは覚えてないそうですけど、綺麗な顔した男の人と、小柄で華奢な男の人だったって……」

「それは、通りすがりの正義の味方ってことで」

 紫苑が人差し指を立てて、悪戯っぽく笑って応えた。沙織もくすっと笑って、事務所を後にした。

「ふふ、雨宮さんも喜んでくれたし、悠木さんも、あの章さんって人もみんな良い方向に行ってるみたいでよかったですね」

「そうっすね、みんな笑顔」

「まだ大変なこともありそうだけど、何とかなりそうだしね」

 珠姫たちは、八千代の机の前に3人並んだ。

「八千代さん、今回も……」

「依頼解決! 任務完了!」

 3人が声を揃えて言う。八千代も満足そうに頷いた。

「お疲れ様です、皆さん」

 飛鳥が微笑みながら言った。

「まぁ今回も赤字だけどねー」

「経費、電車代ぐらいじゃ……」

「いや、アレだよ。僕の変装費用」

 紫苑の言葉に隼人があー、と納得する。

「制服って意外と高いんだよね。手に入れるの裏ルートみたいなものだし」

 八千代が苦笑気味に言う。

「まぁ、基本的にここの経済は私の副業でまかなってるわけだし。あんたたちは給料の心配もしなくていいし、必要経費の心配もしなくていい。ただ、依頼主の依頼を解決してくれればいいから」

 八千代は涼しい顔で言った。

「ああ、そういえば疑問だったんだけど……悠木さんが章クンに言ってたよな、『呼び出したのは章』って……どうやって悠木さん呼び出したんだ?」

「ああ、メールでね。バイクから章クンの本名も割り出して、アドレス調べて、そのアドレスになりすまして、悠木さんにメール送ったのさ。あ、悠木さんのアドレスも調べたよ」

 紫苑がいとも簡単にやってのけたように言った。

「そんなことできるのか?」

「僕はできる」

「それって犯罪じゃ……」

「バレなきゃ大丈夫」

――みずたまちゃんもだけど、紫苑さんも訴えられたらマズイこといろいろしてきてるんだよなぁ……大丈夫かなこの職場

 常識人な飛鳥は1人まともなツッコミを脳内でしていた。

 コンコン。

「あ、は〜い、今開けます〜」

 飛鳥がドアの方へ小走りで駆け寄る。

「よし、今日もまた新しい依頼だ」

 珠姫、隼人、紫苑がお互いに顔を見合わせてにっこりと笑う。

「さぁ、みずたま、隼人、紫苑! あんたたち解決屋トリオの出番だよ!」

「了解です!」

 

 

 火弓解決屋事務所。今日も依頼主の悩みを解決する為に奔走します。