第2話『不思議な依頼』
都内某所。月明かりに照らされ、コンビニなどの灯りもあるが周りはワンルームマンションやアパートばかりで灯りはあまりない。寝静まるというにはまだ早い時間ではあるが、一人暮らしが多いのか辺りは静かである。
そんな静かな夜、ガシャーンと、ガラスが勢いよく割れる音が突如響き渡る。
「ぐあっ!?」
何かが地面にぶつかる鈍い音と男の呻き声がした。
状況として、アパートの2階の窓ガラスが割れているのが確認できる。どうやら今地面で痛みに呻いている男は2階の窓から何かの弾みで落ちてきたようである。
「ったくテメーみたいなのはよ」
壊れた窓から少し低めの女の子の声がした。女の子にしてはだいぶ荒い言葉だったが。
「自分勝手っていう言葉知ってるんだろうなぁ!?」
女の子は怒声を散らしながら、窓からそのまま飛び降りてきたが、まるで猫のようにふわりと着地した。
「テメー! ここの女の人が毎日どんだけ怖がって、不安で過ごしてきたと思ってんだよ! エェ!?」
女の子は心底不愉快そうな表情で男を怒鳴りつける。女の子は淡い色のブラウスに裾の長いスカートを纏い、胸あたりまで伸ばされたまっすぐな黒髪をなびかせたいかにもお嬢様といった雰囲気だった。とても先ほどの荒い言葉を発するようには見えない。
「お、俺は、ただあの子が好きで……」
「それはさっきも聞いた! 好きだったら何してもいいのかよ!? あぁ!?」
「それは……」
「テメー常習犯だろ!? あのなぁっ! 好きだのなんだのいうんだったらな! 守るのが当然だろ!? 危害加えるなんざ好きでも何でもねぇっ!」
女の子が振り上げた拳を男のみぞおちへと落とす。その威力は普通の女の子のものとはかけ離れていた。
「今度やったら本気で殺すからな」
完全に意識を手放した男を一瞥し、女の子はその場を離れた。少し歩いたところで、アパートの影から男のシルエットが2つほど現れる。女の子の知り合いなのか、少し立ち止まって言葉を交わすと、同じ方向に3人で歩いていった。
「みーずーたーまー? これで同じの何件目だっけぇ?」
「すみませんっ!」
火弓解決屋事務所。先ほどアパート前で盛大に暴れていた女の子、みずたまの愛称でお馴染みの湖 珠姫はデスクトップのパソコンや重そうな分厚い本が並べられた立派な白い机の前で頭を何度もぺこぺこと下げていた。その先には椅子に腰かける、勝気そうな美人、事務所所長の火弓 八千代がいた。八千代は少々呆れたといった表情で頬杖をついて珠姫を見やる。
「暴れたくなる気持ちもわかるし、正直ストーカー野郎なんて痛い目見て当然だと思うけどね、依頼主の家の窓、壁、壊し過ぎだよ、みずたま。修理代もかかるし、依頼主に迷惑かからないようにすぐに業者出す手間も少しは考えてくれないと」
「はい……」
「あんたは超能力者で異能者なんだから、手加減ってものも覚えなきゃ」
「うぅ、ごめんなさい……」
珠姫は先ほど暴れていた女の子とは思えないようにおとなしい。とはいうものの、外見の印象を考えれば今の姿の方がしっくりくるのだが。
「大体、隼人、紫苑。あんたたちも一緒に行ってるんだから、みずたまが暴れるの止められないの?」
八千代が珠姫の両隣に立っている、端正な顔立ちの青年の風野 隼人、中性的な印象の青年の木原 紫苑を見やる。
「別にお嬢は間違ったことしてねぇっすし」
「穏便に済ませようとはしてるんですけど……僕たちじゃみずたまちゃんを止めるのはかなり難しいですよ」
隼人がちょっとすねたように、紫苑が苦笑しながら応える。
「でも不思議ですよね〜」
のんびりした口調で書類を整頓していた長身でかなり細身な青年、土井 飛鳥が会話に入ってくる。
「みずたまちゃん、昼はむしろ何があっても怒らないぐらいなのに、何で夜こんなに怒りやすいんですかね〜」
「まぁ、たしかに……」
隼人も飛鳥の意見に同意する。
「ああ、それは何か聞いたことが……」
八千代が言いかけて何かを思い出したような表情になった。
「そうだみずたま、忘れてた。今日あんたたちが出かけてから電話があって、あの妙に声のイイおっさんが……」
コンコンと音がしてから、ドアが開かれた。
「こんばんは〜、八千代くん、お邪魔しますよ〜」
玄関から落ち着いているが低すぎない、甘さのある妙に良い声が響いた。
「来るって……もう来た」
珠姫が振り返る。そこには、背は平均的だが少々丸っこく、眼鏡の奥に楽しそうな光を浮かべた40代ぐらいの男性が立っていた。
「父さん」
「や、たまちゃん。元気にしてたかい?」
男性の名は、湖 藤哉(みずうみ とうや)珠姫の実の父親である。しかし、超能力も異能もないごく普通の人間であり、一般のサラリーマンである。容姿は珠姫と同系統で少々地味、だが愛嬌がある。目立つ特徴といえば妙に美声なことぐらいである。
「親父さん、お久しぶりです」
「おお、隼人くん、今日も男前だね〜。紫苑くん、飛鳥くんもこんばんは」
藤哉がにっこり微笑みながら声をかける。藤哉の笑顔は伝染するのか、皆ふんわりと微笑んで挨拶をかわした。
「父さん、来るなら前もって言ってくれればいいのに」
「いや〜、仕事終わって、週末だし、たまちゃんの顔見に行こうかなーって思い立ってのことだったから。まぁ月曜もお休みもらえちゃったし。一応八千代くんには連絡しといたんだよ?」
「何で事務所に……私の携帯に連絡してくれればいいのに」
「それはちょっとサプライズ的な感じでさ。あ、八千代くん、もう今日は事務所閉めちゃう感じ?」
「依頼者も来ないとは思うので後片付けしてってとこですが」
「なんかね、外で様子伺ってた人がいて、依頼者さんっぽいから、大丈夫ならまた声かけてくるけど」
「それなら入って頂いて全然問題ないですよ」
「あ、じゃあ僕がいきます」
飛鳥が玄関へと向かう。飛鳥ともう1人男性の声が玄関からした。少しして、飛鳥がスーツ姿の30代前半ぐらいの真面目そうな男性を中まで連れてきた。
珠姫、隼人、紫苑の3人がいつものソファーに並んで座り、八千代も所長の椅子に腰かけ、藤哉は八千代の後ろに立つ。
「依頼主様の夏川 俊夫(なつかわ としお)さんです。では、夏川さん、こちらにおかけください」
飛鳥にすすめられ、夏川は軽くお辞儀をしながら、椅子に腰かけた。
「夏川さん、どういったお悩みがあるのでしょうか?」
珠姫が穏やかな口調で問いかける。
「いえ、悩みというか……お願いがあって来たのですが」
「お願い?」
夏川はA4サイズの白い紙が何枚か束になっているものを珠姫たちの前に出す。
「明日は日中、明後日を夜、この紙にあるプランを実行してほしいのです」
珠姫が紙を手にし、隼人と紫苑が両隣から覗き込む。プランとはどこの店で食事をするとか映画を見るとかそういった内容だった。
「えーっと……」
「端的に言えば、男女2人組でデートのシュミレーションをして頂きたいのです」
珠姫たちが3人ともキョトンとした表情で夏川を見る。夏川はといえば、視線は床に落としがちではあるものの、珠姫をちらちらと見ていた。
「はい、依頼内容は承知いたしました。解決屋がたしかに承ります。お代は後払いとなっておりますが……」
八千代が言いかけると、夏川が胸ポケットから封筒を出す。
「こちらに20万あります。プランにかかる費用も含めて先にお出しします。プランを実行した感想などを同封しているメールアドレスへメール送信して頂ければいいので」
「そちらがご依頼としてでなら喜んで承りますがよろしいのですか?」
八千代が確認するが、夏川は全く問題がないというように頷く。
「では、私はこれで。宜しくお願いします」
夏川は深くお辞儀して、真っすぐ玄関から事務所を後にした。
「えっと……」
珠姫がおろおろと八千代を見たり、隼人、紫苑と視線を合わせたりした。
「デートをするってことですよね? 今度の依頼……」
「まぁそういうことだよね」
紫苑が何やら考え込みながら返事をする。
「とにかく内容としては難しくはないし。男女2人ね……みずたまは決まりだね」
「ふぇっ!?」
八千代の言葉に珠姫が驚きの声をあげる。
「男の方は……」
「ふぅ……」
土曜日の正午近く。よく晴れ、気温も過ごしやすい日。オシャレなイメージで若者に人気の街は行き交う人たちで賑やかである。駅前広場には待ち合わせをしている人も多数。珠姫は少しその雰囲気にのまれそうだった。
「父さんに一応、お洋服とか見てはもらったけど……」
白の生地に淡い花柄があしらわれた爽やかかつ珠姫らしい長い丈で裾がふんわりした優しいお嬢様風な印象を与えるワンピースを摘み、珠姫は溜息をついた。
「よりにもよって、こんなオシャレな街……浮くよね」
そう思いながらも、珠姫は待ち合わせ場所へと向かう。
「ねぇ、あの人超かっこよくない!?」
「今人気のさー、あの俳優に似てるー!」
「1人なのかなー? 逆ナンしちゃう!?」
女の子がキャーキャー騒いでいる声を耳にし、その女の子たちの視線の先を辿る。
「あ……」
そこには、大き目の木の陰で相手を待っている隼人が立っていた。
――隼人さんってやっぱりかっこいいなぁ……
普段のラフな格好というのではなく、茶色のジャケット、ベージュのスラックスとカジュアルながら落ち着いた大人といった印象の服装は、上品な顔立ちの美形である隼人にはよく似合っていた。本人は意図していないとは思われるが、憂いの感じられるような表情で更にその良さが際立っており、周りの女の子たちの視線を集めていた。
「隼人さん、お待たせしましたか?」
「お嬢!」
珠姫が遠慮がちに声をかけると、隼人はパァっと一気に表情を明るくし、珠姫の傍に駆け寄る。
「いえ! 全然待ってませんよ!」
隼人は満面の笑顔だ。珠姫はというと、周りの女の子の自分に刺さる訝しげな視線を痛いと感じていた。
「お嬢?」
「い、いえ、隼人さん普段と格好が違って印象変わるなぁって」
「ああ、これですか? 飛鳥のやつが選んでくれたんですよ、今日の朝。“みずたまちゃんをエスコートするのにはそれなりの格好じゃなきゃだめです”って言うから。どうですかね? 似合ってます?」
「はい、すごくかっこいいですよ」
珠姫がそう言うと、隼人は心底嬉しそうにした。また一生懸命振られる尻尾が見えそうな雰囲気である。
「じゃあ、まずはこの店でランチですね……あ」
隼人が紙を見ながら少し戸惑ったようにし、頭をぼりぼりと掻いた。
「お嬢、あの、その手を……」
「はい?」
「手をつないで行動って書いてあるので……」
「そうなんですか。じゃあ、はい」
珠姫が普段と何も変わらない笑顔で手を差し出す。隼人はドギマギと緊張した様子でその手を握った。
『おい! 隼人!』
「うわ!?」
隼人の右耳にしているイヤホンから聞きなれた声が響いた。
『いい!? 依頼なんだからね! 仕事なんだよ!』
「紫苑、なんだよいきなり……」
『みずたまちゃんに何かしたら絶対社会的につぶしてやるからな!』
紫苑はそう怒鳴ると、一方的に通信を絶った。
「どうしました?」
「何か紫苑が……」
「紫苑さん、すごいですよね。短時間でこっちの音拾えて、通信もできる小型機械持ってこれるなんて」
「あいつ、何かの変な組織と繋がってるんじゃないんすかね?」
「ふふ、大丈夫ですよ。事務所メンバーは皆優しいですから。悪い組織とは繋がってないですよ」
すねたように口を尖らせている隼人に微笑みながら、珠姫は地図を参考に指定された店へと向かった。
火弓解決屋事務所。部屋の中央にあるテーブルにノートパソコンを置き、しかめっ面をしてソファーに腰掛けている紫苑。そんな紫苑を、所長席に座った八千代が面白そうに見ていた。
「紫苑、自分が行けばよかったんじゃないの?」
「昨日も言いましたけど、調べたいことがあったんですよ」
紫苑は腕組みをして、背もたれに身体を預ける。
「どうも胡散臭いんですよ、この依頼。僕も情報網駆使していろいろ調べてますし、その手のプロと連絡もついたんで調査してもらってますけど」
紫苑がパソコンをカタカタと操作する。
「指定されたメールアドレス、フリーメールでしたし、そのアカウント情報調べましたけど夏川さんの名前じゃないんですよね。電話番号も住所もデタラメみたいですし」
「それはたしかに怪しいとも言えますね」
飛鳥が紫苑に紅茶を出しながら言う。
「依頼も変わってますしね。デートの下見なのかなーとも思えますけど、簡単な依頼のわりに結構高い報酬出してますし」
「面倒なことにならなければいいんだけど……」
紫苑が一旦外していたイヤホンを耳につける。そこからは楽しげな隼人と珠姫の声が聴こえてきた。
「遊びじゃないんだからな、駄犬……」
「紫苑さん、やっぱり気になるんですね」
飛鳥が少しからかうように言うと、紫苑はムッとした顔を飛鳥に向けた。
「べ、別に気になんかしてないからね!」
紫苑が顔を赤くしてそう言うと、飛鳥は手で顔を抑えながらぷるぷると肩を震わせ、八千代の傍に歩いて行った。
「八千代さん……僕、不覚にも今の紫苑さんに物凄く萌えてしまったんですけど……」
「あー、大丈夫。ツンデレに萌える要素が少しでもあれば、アレは萌えるから」
紫苑は、飛鳥と八千代のこそこそ話に疑問符を浮かべていた。首を傾げる動作までもが可愛らしいのだが、本人わかっていないのが悲しいところである。
「うぐ、ぐすっ……」
「はいはい、隼人さん、ティッシュどうぞ」
「ずびばぜん、お嬢〜」
人気のイタリアンレストランでちょっと高めのランチをし、映画館で今話題の恋愛映画を見た珠姫たちはこれも指令として出されていたのだが、川沿いにある公園のベンチで休憩をしていた。
遊具がある公園ではなく、緑や川の流れを楽しみつつ、散歩するのに適した自然公園である。時刻は夕方で空は橙色がかっている、まばらにカップルが散歩しているのが見えるが、通る人たちは、思わず珠姫と隼人に目をとめてしまう。隼人はたしかに視線を集めやすい外見なのだが、今は外見というより……。
「うえ、あの2人最初から素直になってれば、もっと幸せな時間がいっぱい過ごせたのに……あんな若いのに死別なんて……」
隼人は映画のラストシーンにだいぶ心を揺さぶられたようで、泣きに泣いていた。大の大人が泣きまくっているので、周囲の人は一瞬ぎょっとしてしまうようだった。
「そうですね。それにしても隼人さん、感激屋さんなんですね」
珠姫は素直に感動して泣きじゃくる隼人に母性本能をくすぐられたのか、頭を優しく撫でていた。
「ううっ、でも男がみっともないですよね……もう、大丈夫です!」
隼人は袖で乱暴に目をごしごしとこすると、表情をキリッとさせて見せた。珠姫はそんな様子を微笑ましげに見ていた。
「……?」
隼人が視線を珠姫から外して、何かを睨むように見る。珠姫はその様子に疑問を感じながら、隼人の視線を辿った。そこには、ニヤニヤと好ましくはない笑みをうかべて、こちらを見ているガラの悪そうな男性3人組がいた。
「よぉ、兄ちゃん、姉ちゃん。2人でラブラブですかー? 羨ましいねー」
男の1人が下品な笑い声をあげる。
「そうでしょう、羨ましいでしょう」
隼人が低めのトーンで応じつつ、珠姫をかばうように前に出る。
「お嬢、まだ日がありますし、俺から離れないで下さい」
隼人が小声で言う。日没後と違い、ごく普通の温厚で真面目(実は超能力者)な女の子である珠姫は少し心細そうに隼人の背に隠れた。
「なんだよ、おまえのその目、何か気にいらねぇなー」
「そう言われても、生まれつきなもんで」
「口答えすんなよ!」
男の拳が隼人に向かって繰り出される。顔面に入る高さだったが、即座に腕でかばい、打撃を防ぐ。
『隼人』
「紫苑、聴こえてると思うが取り込み中だ」
『だから話しかけてるんだよ。君なら少人数のチンピラなんてどうってことないだろうけど、傷害とかいろいろ厄介だからね、逃げることをおススメするよ』
隼人は紫苑の言葉を聞きつつ、男の攻撃をひらひらとかわしていた。
『こっちは経路調べたから、みずたまちゃんを絶対離さないで、僕の指示する道順で逃げて』
「お嬢、走りますよ!」
隼人は珠姫の手をしっかり握り、男を突き飛ばすと、紫苑の指示した道へとダッシュした。男たちが怒声をあげながら、追いかけてくる。
公園を出て、狭い路地を抜け、人通りの多い場所へと出る。交番も見えてくる、隼人は珠姫越しに後ろを見ると、もう男たちは諦めたのかついてはこなかった。
「ふぅ……お嬢、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ……はや、隼人さん、足速いんです、ねぇ……私は、疲れちゃい、ましたよ」
ゼェハァと息を切らし、珠姫は両膝に手を置いて、屈む。
「すみません……最後にとんだイベントが入っちゃいましたね。一応今日渡されたプランは以上なんですけど」
「そうでしたか。たしかに、夕方までのプランでしたもんね」
「じゃあ、帰りましょうか。事務所に」
珠姫は息を整えて、笑顔で頷く。今日の癖か、少しからかいたくなったのか、珠姫が隼人の手を握ると、隼人はあたふたした。珠姫はその様子がおかしかった。
翌日、日曜。夜6時ごろの解決屋事務所。事務所には静かな時間が流れていた。八千代は机でデスクワーク、飛鳥は書類の整頓、珠姫と隼人と紫苑はいつものソファーに座っていた。
「6時ですね、まだ明るいですけど」
珠姫が窓の外を見てそう言う。今日は白のブラウスにレースのあしらわれた黒いサンドレスという格好をしていた。
「もうちょっとで出る時間?」
紫苑の問いかけに珠姫が頷く。
「そっか、じゃあ鉢合わせさせずに済む……」
紫苑が安堵の表情で言いかけたその時だった、玄関のドアが勢いよく開かれる音が響いた。
「どーもぉ! ミステリアスでキュートな情報屋、葵(あおい)ちゃんでーす!」
少し高めの、だが柔らかい印象の男性の声が響き渡る。珠姫はその様子にぽかーんとし、紫苑はこめかみを押さえた。
「来ちゃったよ……」
「あ? 葵? 急にどうしたの?」
パソコンから目を離し、突如現れた登場人物に八千代が声をかける。
「八千代ちゃんもお久しぶりぃっ! 今日はぁ、親愛なる紫苑ちゃんに、頼まれた情報をお届けにまいりましたぁ!」
紫苑が溜息を漏らし、八千代は苦笑する。だが、葵の登場にある程度反応できているのはその2人だけだった。珠姫と隼人と飛鳥は葵を見たまま呆然としている。
葵はちょっと癖のある髪型の茶髪で、特に長すぎることもないよくある髪型で顔立ちも今時の若者らしいもので、明るく元気で健康そうな若者という印象だ。
だが、問題は服装にある。胸元に大きなリボンのあるセーラー服のような上着に膝丈の無地のスカート。そう、女性の格好をしていたのだ。
「うえっ? えーっと……」
「ごめん、みずたまちゃん。驚いたよね? こいつは葵。こんな格好だけどもちろん男で年齢は正直知らない。たぶん僕よりは下だと思うんだけど……葵っていうのも本名かわからないし本名だとしても名字は不明。怪しいことこの上ないけど、情報はたしかで、僕や八千代さんは結構付き合い長いんだ」
珠姫がキョトンとした表情で八千代の方を見ると、八千代も紫苑の言葉を肯定するように頷く。
「もーお、紫苑ちゃん、怪しいなんて酷いじゃなーい。俺は怪しいんじゃなくて、ミステリアス、神秘的な存在なの!」
「充分怪しいだろ」
「相変わらずツレないなぁ、折角久しぶりに連絡くれたかと思ったら頼みごとを淡々として終わっちゃうし、会ってもそれぇ? まぁ、ツンデレは紫苑ちゃんの魅力だけどぉ」
「顔が近い、離れろ変態」
ずいっと顔を寄せてきた葵を紫苑はゆっくりと押し返す。
「むぅ。あ、君がみずたまちゃんね」
葵はにっこりと人畜無害な笑顔を珠姫に向けた。珠姫は一瞬びっくりしたが、好感のもてる笑顔に警戒心を和らげた。
「私のこと知ってるんですか?」
「一応、俺は情報屋だからねぇ。君の名前、家族構成、通ってる大学はもちろん、身長、体重、スリーサイズも知ってるよぉ」
「なっ!」
かなりパーソナルな情報まで出てきて、珠姫が顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせた。
「こら、おまえ、そういうのを調べ上げるのはよくないぞ! お嬢は花も恥じらう女の子なんだから!」
珠姫をかばうように隣から隼人が出てくる。隼人の格好は黒スーツにネクタイとフォーマルで普段とはまったく毛色の違う様相だった。
「君は隼人ちゃんだねぇ。わぁ、見事なくらいの色男だねぇ。イケメンっていうかハンサムって感じ? へぇ、俺は可愛い系が好きなんだけど、綺麗系にも目覚めちゃうかも」
「は?」
「安心して! 俺は両刀だから! 男の子も女の子もおいしく頂けちゃうから!」
「安心できるかぁっ!」
珍しく、隼人と紫苑が同時に声をあげてツッコミを入れた。
「はいはい」
収集がつかなくなりそうな場面で八千代が手を叩いて制止する。
「とりあえず、みずたまと隼人はそろそろ出る時間じゃないの?」
八千代の指摘でやっと思い出したように、珠姫と隼人はソファーから立ちあがり、玄関へと向かう。飛鳥からカバンなどを受け取ると、行ってきますと言いながら出かけて行った。
「葵、情報届けにきたってことは収穫あったってことだよね?」
「もちろん。紫苑ちゃんの頼みとあれば」
葵は紫苑と向かいあった依頼主用のソファーに腰掛けた。
「そんなに難しくはなかったよ、今回の身元調査。意外なことに名前は本名だったしね」
葵は前かがみになると、先ほどまでのおちゃらけた表情を硬いものへと変化させた。
「怪しげな組織が浮かび上がってきたよ。こっちは容易には調べられなかった。実体が何かとも。ただ、奴らは完全に目をつけてるよ、みずたまちゃんにね」
「その狙いは?」
「はっきりとはわからない。対象者に問いただす必要があるんじゃないかな」
「そう……」
「今日、呼び出してるよ、君がよく使いそうな手口でね。行くの? 首をつっこめば君も関係者になっちゃうけど」
「……今更だろ」
紫苑の目は真剣だった。八千代は様子を伺うものの涼しい表情で、飛鳥は心配そうに2人を見ていた。
「なんか、緊張するっす……」
隼人は居心地が悪そうに身を縮こませていた。
高級フレンチレストランの有名店。落ち着いた印象の店内。壁にかかっている絵は神話の場面が描かれていて、教養が高そうな人が好むような雰囲気が演出されている。ウェイターの動作も話し口調も格式高そうだった。
「大丈夫ですよ、隼人さんはむしろ似合ってるぐらいですよ」
「でも俺、テーブルマナーとか全然わかんないし……」
「私もわからないですよ。見た目お嬢様っぽいってよく言われますけど、普通の家で育ってますし、父さんが恥ずかしくない程度には教えてくれてますけど」
「親父さんが……親父さん、ホントにお嬢を大事に可愛がって育ててくれた感じですもんね」
隼人は微笑みながら、だがどこか寂しそうな表情で言った。
「隼人さん」
「あ、はい」
「私は隼人さん、大好きですから。いつも意地悪な態度だけど紫苑さんもそう思ってます。飛鳥さんや八千代さんも」
「ど、どうしたんですか? 急に」
「いえ、言いたくなったんです」
珠姫が微笑むと、隼人は顔を赤くして、目線を彷徨わせた。
「今日もデートなんですから。食事も楽しくとりましょう、ね?」
「は、はい!」
照れくさそうに、だが明るく隼人も笑った。
――やっぱり、お嬢は俺にあったかいものいっぱいくれる
「お嬢」
「はい?」
「俺も、お嬢が大好きです!」
「ふふっ、ありがとうございます」
解決屋事務所。人も少なくなったせいか、すっかり静かで八千代が操作するパソコンの音と、飛鳥が時折たてる物音、外の音がほんの少しするだけだった。
「八千代さん」
「ん?」
「紫苑さん、大丈夫ですかね?」
「自分で大丈夫って言ってるんだし、大丈夫でしょ。別に危ない奴に喧嘩売りにいくわけでもないし、ちょっと人に話聞くだけだからって」
八千代は全く心配の色を浮かべておらず、いかにも心配そうな飛鳥とは対照的だった。
「そうですけど、組織がどうとか……みずたまちゃんがいれば安心ですし、隼人さんなら切り抜けられても紫苑さんは頭脳プレーの人ですし、あの通り華奢な方ですし」
「飛鳥は随分、紫苑をか弱くて可憐な奴扱いするよね〜、大丈夫、ああ見えてやる時はやる奴だから。それに葵も一緒だから何とかなるさ」
「葵さんって……大丈夫なんですか?」
「まぁああいうナリだからね……でも充分信用に値する奴だよ。それから、紫苑ならきっと大丈夫だから。何かあったら何とかするし……何もさせやしないさ」
八千代はポケットから何かを取り出し、それを真剣な目で見て、声のトーンも落として言った。
「飛鳥、なんでそんな怯えた目するの?」
「だって、八千代さんの様子が迫力ありすぎて、拳銃でも出てくるかと思った……」
「あんたは私を何だと思ってんだよ! 殴るぞ、こら!」
「きゃー、やっぱりド迫力! きゃーきゃー!」
シリアスな雰囲気もぶち壊して、きゃーきゃー言いながら逃げる飛鳥とそれを追う八千代のドタバタと騒がしい音が事務所に充満した。
月が綺麗な夜。街は灯りがたくさん灯っていて明るくはある。自然が楽しめないと言われてしまう夜の街灯りだが、高台から東京の夜景を見ると、それは大変綺麗だった。そんな景色を珠姫と隼人は風にあたりながら楽しんでいた。
「いやー、ナイフとかフォークの扱いとかぎこちなくやっちゃいましたけど、おいしかったですね!」
「そうですね。本当、こんな依頼でいいんですかね。こっちは楽しいばかりで」
「ですよね。さて、指定の場所には来ましたけど、何か……」
隼人が指令の書かれた紙を見て絶句する。
「どうしました隼人さん?」
「え? 指令なんですけど、イチャつけって……」
「イチャつく……」
あたふたしている隼人に対し、珠姫は平然としていた。そして、ゆっくり隼人に歩み寄って、腕をとった。
「こんな感じですか?」
珠姫は隼人の腕を抱き、肩にもたれかかるように寄り添った。隼人はそんな珠姫の様子に湯気が出そうなほど顔を赤くした。
「おじょ、お嬢!?」
――む、胸が当たってるんですけど!? うわ、柔らかい……じゃなくて! いろいろ困るんですけどお嬢!?
「隼人さん」
「はい!?」
「……昨日に引き続きなのでしょうか。不穏な気配が近づいてます」
隼人が視線を後ろにやると、昨日とは違う人間だったが、4,5人程の男がじりじりと自分たちに迫って来るのが確認できた。
「どうしましょうか、逃げるのにあまり適してないですよね」
隼人がそう言って思いだした。紫苑から話しかけられていない。
――イチャつくあたりで、紫苑なら絶対文句言ってくるよな……どうしたんだ?
「見せつけてくれるねー、こんなところでよろしくやっちゃおうとでもしてる感じですか?」
「お盛んだねー」
――俺も俺でチンピラ風情だったけど、こういう輩ってどいつもこいつも……なんていうか下品
「なんだよ、男の方は無駄に顔イイのに、女の方大したことねーじゃん、俺パス」
「胸デカイのはいいんだけどなー、俺もスタイル良い子じゃないと興奮しねーわ」
「俺もぽっちゃりはパス、ってーかあの男趣味悪いんじゃね?」
「というわけで、痛い目見たくなかったらお金ちょーだい?」
隼人が息を吸い込んで、怒鳴ろうとしたが、それより早く、珠姫が前に出る。何も知らない男たちはニヤニヤしたまま様子を見ている。
「さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって。悪かったな! だがな! テメーらみてーな品性の欠片もない男こっちから願い下げなんだよ!」
珠姫が腕を一振りすると、物凄い勢いの突風が吹き、男たちが一気に吹き飛ばされ、地面に打ち付けられた。
「隼人さん、ちょっと下がってて下さい」
珠姫は、声は低いものの、隼人には普段の口調でそう言うと、手を高く掲げる。それに応えるように、風が珠姫の周りに巻き起こる。
「おい、テメーら何が目的だよ?」
「な、何が……」
「絡むにしてもよー、ここってそんな人多いところでもねーだろ。昨日今日と絡まれるのもおかしいしな……何なんだ?」
「俺らは別に……」
「死にてぇか?」
珠姫が凄み、男の腹部辺りの服が切り裂かれる。
「ひぃっ! お、俺たちは頼まれただけなんだよ!」
「頼まれた? 誰にだ?」
「名前なんか知らねえ! ごく普通のおっさんだよ。金渡されて、ここの高台でイチャついてるカップルを襲えって!」
男の言葉に珠姫と隼人が目を見合わせる。
「……事務所に戻りましょう」
2人は倒れてる男たちは無視して、高台を降りて行った。
都内のビルの屋上。スーツ姿の男性が驚愕の表情を浮かべて立っている。対峙しているのは、華奢な青年と女装姿の青年だった。
「夏川さん、趣旨を説明しない依頼はちょっと酷いんじゃないんですかね?」
腕組みをしたまま、紫苑が言う。
「どうして貴方が? 私は上司に呼び出されたはずなのですが……」
「あぁ、それは俺がやりましたぁ、てへっ」
葵の言動、何よりその格好にさすがに夏川も引いたのか、言葉を詰まらせていた。
「何が狙いですか? みずたまちゃんに危害を加えるつもりですか?」
「……だとしたら、どうだというんです?」
「みずたまちゃんに何かする奴は僕が許さない。相手が誰だろうと……」
紫苑は夏川を睨んだまま、ポケットから何かを取り出す。その物体の先端から火花が散る。
「言っときますけど、これはただの護身用のスタンガンじゃないです。表には出てない代物です……威力は、ご想像におまかせしますが」
「これは穏やかではないですね。貴方は理性的な方だと思ったのですが……随分熱いお方なのですね」
「僕もそう思ってましたよ、つい最近まで。今まで何にも執着なんてしてこなかった冷めた人間だった僕でも、今はどうしても守りたいものがあるんです。どんな手をつかっても」
紫苑の表情は厳しく、目は鋭かった。
「僕は汚れた人間ですから、何だってします。飛鳥くんは優しすぎるし、隼人は心も綺麗過ぎて悪役はできません。八千代さんにこんなことさせるわけにも当然いかない。汚れ役は僕だけでいい」
「大した決意ですね。それに敬意を表して、少しだけ教えてさしあげます。今回依頼した背景は、あのお嬢さんが本当に異能者か確認する為。だから日没前と日没後のシュミレートを依頼した。我々の仲間が様子は伺ってましたから、日があるうちと夜の彼女の行動パターンも確認したはずです」
夏川は淡々とした様子で語る。
「安心なさい。我々はお嬢さんに危害を加えるつもりはありませんよ。しばらくは様子見といったところでしょう。異能者は我々の護るべきものであって、攻撃する相手ではない……例外として、我々に刃向えば、命の保証もありませんがね」
「貴方達の組織の狙いは何ですか!?」
夏川の言葉に危険性を感じ、紫苑が声を荒げる。
「紫苑ちゃん!」
葵が声をあげ、紫苑の身体を引き倒す。紫苑が目をやると、自分の立っていた位置にボウガンの矢が撃ちこまれているのが確認できた。
葵はすぐに立ちあがり、矢が放たれたであろう方向に向き直る。すぐさま更に放たれた矢を懐から出したヌンチャクで華麗に叩き落とす。
「あ、待て……!」
矢に気を取られているうちに、夏川がいつの間にか逃げ出していた。
「紫苑ちゃん、気持ちはわかるけど深追いはしない方がいい、紫苑ちゃんが危ない目に遭う。事務所の仲間は喜ばないよ。俺も推奨しない」
「……わかった」
翌日、月曜の午後。解決屋事務所。
「じゃあ、あの夏川って奴、お嬢が異能者かどうか調べる為に依頼をしたってことなのか?」
紫苑は自分がした脅しのような手口については黙っていたが、夏川から聞いたことを八千代、飛鳥、隼人に報告した。珠姫は大学でセミナーがあるので夕方までは来れない。
「そう」
「組織の目的は結局わからず……異能者と関係は密接といったところですね」
飛鳥の言葉に紫苑は頷く。
実体もよくわからない組織の不穏さ、不気味な存在に一同は黙りこんだ。すると、ドアをノックする音が響いた。
「お邪魔しまーす」
入ってきたのは、珠姫の父、藤哉だった。
「藤哉さん、どうしました?」
「いやぁ、大学にたまちゃん送りだしたし帰ろうかなと思ったら葵くんだっけ? ちょっと変わった男の子が来て、いろいろ話聞いたもんだからさ」
「葵から?」
「たまちゃんはね、ちょっと敏感で夜になるとちょっとキレやすくて暴れるとちょっとすごくて、でも普通の子だよ」
藤哉はいつも浮かべている穏やかな笑顔から急に真剣なものへ表情を変えた。
「超能力も異能も変わってるかもしれないけど俺にとっては優しい良い子で可愛い娘なんだ。でも、異能者はその力によって敬遠されがちだし、力というものは人を狂わせもする。その力をおかしなことに使おうとしたり……異能者に目を付けた悪だくみをする組織ができても何らおかしくないと思う」
藤哉はそう言って、事務所にいる4人を見渡す。
「たまちゃんと関わることで、みんなにも魔の手が伸びることだって考えられる。それでもいいって覚悟はあるかい?」
藤哉の言葉を真剣に受け止め、4人はそれぞれ目を見合わせた。そして、自信に満ちた表情で藤哉に向き直る。
「もちろんです!」
4人の声が綺麗なハーモニーを奏でる。その凛とした響きに満足そうに藤哉は微笑んだ。
「たまちゃんのこと、よろしく頼みます」
藤哉は深々と頭を下げ、力強く言った。その声はやはり、どこまでも美声だった。
「そうだった、忘れてたけど情報料払ってなかったね」
携帯のメールで解決屋事務所のビルの屋上に呼び出された紫苑は思いだしたように言った。
「情報収集の手間賃と、あと昨日紫苑ちゃんのボディーガードもしたからねぇ、きっちり払ってもらわなきゃ」
「高そうだな、いくら?」
「そうだねぇ、高いよぉ……紫苑ちゃん、身体で払って!」
「あのスタンガン、君で威力試そうか?」
「やだ、こわーい。じゃあ今回はこれで」
葵は電卓に数字を打ちこむと、紫苑に提示した。
「高くないんじゃない?」
「そぉ? 女子高生とかこれぐらいで売春してるよぉ? ま、俺なら紫苑ちゃんにはもっと払ってもいいけどね!」
「変態に身体売るほど落ちぶれてないよ、僕は。ほら」
紫苑は財布から諭吉の描かれたお札を数枚、葵に手渡した。
「まいどありぃ」
「……これからも頼むよ、葵。引き続きあの組織のこと調べてほしい」
「りょうかーい。ねぇ、紫苑ちゃん」
「何?」
「紫苑ちゃん、自分のこと汚れた人間だって言ったけど、俺はそんなことないと思うよ?」
葵は腕をあげ、伸びをしながら空を見た。
「俺、情報屋なんてやってるから、いろんな人見てきたけどさぁ。汚れた人間っていうのは自分の利益しか考えなくて、人を蹴落としたり、傷つけたりするのを平気でするような奴なんじゃないかなぁ?」
「何言ってるのさ、昨日僕は……」
「紫苑ちゃんは、みずたまちゃんを守りたいだけでしょ?」
葵は紫苑と視線を合わせる。その表情は穏やかだった。
「そりゃあ綺麗事で済ませられる感じじゃないかもしれないけどさぁ、紫苑ちゃんは自分じゃない他人の為に一生懸命になれるんだよ? それって、素敵なことだと思うなぁ」
葵は紫苑の傍に歩み寄り、下から覗き込むような体制をとった。
「俺、昔の紫苑ちゃん知ってるからさぁ、なーんか嬉しくなっちゃうなぁ。人を避けてた紫苑ちゃんが他人を大切に思えるなんて」
「葵は、何か僕に甘くない?」
「うん、あまあまぁ、だってぇ、紫苑ちゃん可愛いんだもん」
「……可愛いって言うな」
「やっだぁ照れちゃってぇ! そんなとこも可愛いぞっ! もう葵ちゃんムラムラしちゃうっ!」
「去れ、変態、気持ち悪い」
「ふーんだ、いいもん、もうそろそろ時間だから行きますよーっだ、ぷんぷん!」
「葵」
ぴょこぴょことおかしな歩き方で出口に向かう葵の背中に声をかける。
「ありがとう」
少し意外そうな表情で振りむいた葵は、嬉しそうに笑った。
「真性のツンデレー! 萌え〜っ!」
「やっぱり去れ!」
「というわけでだ、今回、みずたまがいろんなところで暴れてちょっとそれに不満を持った奴が喧嘩を売ってきたわけだけど、依頼は無事終了!」
夕方、事務所にやってきた珠姫に八千代が嘘の説明をした。
「だからいーい? みずたま、むやみやたらにキレて暴れないこと。たまには穏便に事を運ぶことも覚えなさーい」
「はい、善処します……」
珠姫は肝に銘じるように深く頭を下げて八千代に応えると、定位置と化している場所へ腰かけた。
「お嬢、次の依頼も頑張りましょうね!」
隼人がにっこり微笑んで、右手で握り拳をつくって言う。
「まぁ、顔が取り柄の隼人の馬鹿はともかく、僕に頼ってくれればいいから」
「おい、紫苑、何なんだよその言い方!」
「そこをさらっと流せないあたり、図星なんじゃないの?」
「この性悪キツネ男! ほんとシメるぞ!」
自分を挟んではじまる隼人と紫苑の言い合いに、珠姫はぷっと吹き出した。
――やっぱり、お嬢の傍にいるとぽかぽかする
――この笑顔は絶対に守りたい、帰る場所であるここ丸ごと
「あの、すみません、ここって……」
ドアを開ける音と女性の声が聞こえてくる。
「はい! お悩みを解決する事務所ですよ〜、依頼でしたら受付中です!」
飛鳥が爽やか笑顔を振りまいて、応対をはじめる。
「さーて、隼人も紫苑も元気そうだし、今日も頑張って依頼主の悩み、解決してもらわないとね」
「はいっ! もちろん!」
八千代の言葉に珠姫、隼人、紫苑が同時に応える。その表情はキラキラしていた。
火弓解決屋事務所。今日も依頼主の悩みを解決する為に奔走します。