3話『殺伐ストーリーは突然に』

 

 

 

 春と呼ばれる季節もそろそろ終わり、初夏が近づく頃。天気は良く、かなり暖かい、

人によっては暑いと感じる人もいるはずである。

 都内の女子大。お嬢様校なイメージも強いこの大学は、校舎がいかにも女の子向けといった感じで可愛らしい。緑がいっぱいで、清々しい空気が漂っている。

 チャイムが鳴り、しばらくしてからぞろぞろと校舎から人が出てくる。その中に普段通りお嬢様らしい服装をしたみずたまの愛称でお馴染みの湖 珠姫の姿、ゆったりとしたチュニックに長ズボンを履き、肩より少し長い黒髪をバレッタでとめた、これまたお嬢様っぽい女の子と話しているのが確認できた。

「みずたまちゃんはこれからバイト?」

 珠姫の友達と思しき女の子がそう尋ねた。

「うん、そう。詠梨(えいり)ちゃんは?」

「私は練習。曲も難しいし、1年生入ったし頑張らないと」

 詠梨は苦笑気味に応える。珠姫は詠梨の表情に少し疲れが見えるのが気になった。

「大変そうだね」

「うーん、まぁまぁ……それよりみずたまちゃんだって大変そうじゃない? 毎日バイトしてない?」

「そうだけど、やりたい仕事だし、事務所のみんなも大好きで会えるのが楽しいし嬉しいから、全然大変じゃないよ」

 珠姫は、事務所で共に働く4人のメンバーの顔を思い浮かべ、にっこりと笑顔を浮かべる。その様子を詠梨が羨ましそうに眺める。

「そっか、じゃあバイト頑張ってね」

 校舎から少し離れ、レンガで張られた道に出る。詠梨はサークル棟へと向かう為、珠姫に手を振って奥へと向かった。珠姫はそのまま、正門へと向かった。

 

 

 

 都心部にある街。いかにも都会といったように人がごった返すような場所ではない。さびれているということもないが、それなりに賑やかさはあるが、高層ビルがあるわけでもなく、都心部にしては地味な印象があるかもしれない。

 解決屋事務所に向かう為、珠姫が大き目の有名な庭園や古くからの大きな豪邸がある道に入ると、直線状の為見えるが少し離れたところに泣きわめく小さな子供と人目を引く整った顔立ちをした青年、風野 隼人の姿が目に入ってきた。

「こらー、泣きわめかれても俺、わかんねーぞ。どした?」

 隼人が屈み、子供と視線を合わせる。子供は右手で目をこすっていたが、左手で上を指さす。塀より更に上にある枝にくまのぬいぐるみがひっかかっているのが見えた。

「あー? 何であんなところにぬいぐるみがあるんだ?」

 隼人が首を傾げながらそう言うと、子供の泣き声の音量が少し上がった。隼人はもう1度屈み、子供に話しかける。珠姫のところまで子供の言っていることは聞こえないが、隼人は何やら頷いている。

「よし、待ってろ、今とってきてやる」

 隼人はそう言うと、塀に手をかけ、軽々とよじ登る。塀から木に飛び移る。枝葉が進路の邪魔なのか、少しもたついている様子だったが、隼人は何とかぬいぐるみを掴んだ。戻るのは少し楽だったのか、すんなり塀に戻り、猫のように身軽にジャンプして降りてきた。

「ほら、とってきたぞ、泣きやめ〜」

 隼人がぬいぐるみを子供に差し出す、子供はそれを両手で大事そうに抱いた。

「大事なら障害物があるところで投げて遊んだりしちゃだめだぞー。ま、無事とってこれてよかったよかった」

 隼人は明るい笑顔を浮かべて、子供の頭をがしがしと撫でた。子供は隼人に深く頭を下げると、手をふりながら、走り去って行った。

 そんな様子を珠姫はとても心が温かくなる気持ちで眺めていた。

「あ! お嬢!」

 子供の進行方向から向き直った隼人が珠姫の存在に気付き、笑顔で駆け寄って来る。

「隼人さん、こんにちは」

「こんにちはっす! 事務所に向かうところっすか?」

「はい。隼人さんはどうしてこちらに?」

 隼人は解決屋事務所で寝泊まりして暮らしている、自分のように仕事だということで事務所に向かうということはないはずである。

「いやー、散歩っすよ。寝不足で欠伸してたら、紫苑の奴に“欠伸ばっかりで鬱陶しいなぁ、外の空気でも吸って目覚ましてきなよ駄犬”とかなんかめんどくさそうに言われたんでまぁ仕方なくっていうか」

 隼人がすねたような表情で言う。しかも、間に紫苑のモノマネが挟まっていたので珠姫は笑ってしまう。

「寝不足、夜更かしでもしたんですか?」

「ええ。なんかたまに深夜番組とかついつい見ちゃったりしません? 俺は昨日夜中にやってたアニメついつい見ちゃって」

「深夜って意外と面白い番組多いですもんね、私はお笑い番組が好きなので結構見ちゃったりするのわかります」

 珠姫が言うと、隼人は止まったように珠姫をじっと見ていた。

「どうしました?」

「いや、お嬢がお笑い番組好きって、なんか意外というか……」

「そうですか? 結構お笑い芸人さん好きなんですよ。ネタ番組とかバラエティ番組も好きですし、特に年末のM-1グランプリは見逃せません」

 珠姫は少し楽しげな笑顔を浮かべて言う。隼人はへぇーと感心したようなリアクションをとった。

「散歩中にさっきの子供さんには出くわした感じですか?」

「はい、歩いてたらわぁわぁ泣く声がしたんで、行ってみたらさっきの子が泣いてて」

「ほっとけなかったんですね。隼人さんってやっぱり優しい」

「いえ!」

 珠姫の言葉に隼人が顔を赤くして、手の平をぶんぶんと振った。

「もっと前だったら、知らんふりだったかもです。お嬢と会って、解決屋の仕事してるうちに、困ってる人がいたらできることはしないと、と思うようになって」

「それは、きっかけですよ。前も言いましたけど隼人さんは優しい方なんです。いろいろあって、それが表に出辛かった時もあったかもしれませんが、本質は本当に素直で優しくて綺麗な心の持ち主なんだって思いますよ」

 珠姫がそう言うと、隼人は照れくさそうに頬を掻いたり、腕をぶらぶらとさせたりした。

「じゃあ、今日もお仕事ですね。隼人さん、一緒に事務所に行きましょう」

「はい!」

 隼人は、嬉しそうに珠姫に歩幅を合わせながら2人で事務所への道を進んだ。

 

 

 

 火弓解決屋事務所、建物の2階に行き、ドアを開ける。

「あ、来た来た。みずたま、隼人、定位置にお座り!」

 珠姫と隼人の姿を確認した美人所長、火弓 八千代が手招きをしながら声をかける。珠姫と隼人はそそくさと定位置にお行儀よく座る。隣に座っている頭脳派の木原 紫苑が小声で珠姫に挨拶し笑顔を浮かべる。

「よし、まずは、メールで今日依頼したいっていうのがきてて……」

 八千代がそう言うと、秘書役の土井 飛鳥が八千代に紙きれの束を渡す。

 八千代から報告を受けるメンバー。事務所に所長の八千代、秘書の飛鳥。そして解決屋トリオこと珠姫、隼人、紫苑。5人が揃うと、解決屋事務所の日常がはじまる、そしてそれが5人の日常でもあった。

 

 

 

 事務所では依頼主の話を聴き、必要に応じて珠姫、隼人、紫苑の3人が動く。依頼主へ安く提供する為、利益は依頼解決ではほぼ無い。しかし、八千代の自分が起こした会社への相談役、顧問としての収入、企業へのプラン提案など彼女の手腕を発揮してそちらで多くの利益を生み出し事務所を運営しているのだ。たまに企業に訪問したりはするが、基本パソコン操作でのデスクワークで忙しい八千代。そのサポートをしながら、清掃などの雑用までこなしつつ飛鳥がきっちり留守番してくれているので、解決屋トリオも安心して依頼解決に従事できる。

 珠姫にとって、当初火弓解決屋事務所で働くことはいろいろ戸惑いがあった。八千代は自分の能力を知っている相手ではあったが、紫苑と飛鳥には知られていなかった。超能力も人とは違う、特に珠姫は異能を周りの人に知られることに抵抗があった。しかし、後から来た隼人も含め、事務所のメンバーは珠姫の能力を受け入れてくれている。思う存分能力を発揮し、人を笑顔にできる今の仕事を珠姫は気に入っている。

 隼人にとって、当初火弓解決屋事務所で働くことは珠姫への恩返しだけのつもりだった。珠姫の役に立てればいい、そう思うだけだと感じていた。過去の悲しみや虚しさを珠姫に受け入れてもらい、人の悩みを解決していくなかで、自分にも人に何かしてあげられることがあると気付き、今ではすぐに困っている人に手を差し伸べられるようになった。

 紫苑にとって、当初火弓解決屋事務所で働くことは単なる気まぐれであった。声をかけてきた、若くして起業家としても成功した八千代がどんな事務所を経営するのか興味があっただけだった。人との関わりを避けてきた紫苑にとって人の悩みなど興味はなかった。珠姫と打ち解けて、隼人とも出逢い、確実に紫苑の中で人に対する意識は変わった。

 人の悩みを解決する自分の仕事を3人とも誇りにすら思っている。今の日常をとても楽しいと、自分の人生を好きだと認識できるようになっていた。

 隼人と紫苑にその思いをくれたのは珠姫だった。

 珠姫も事務所のメンバーが自分を認めてくれたことでそう思えるようになった。

 一方、珠姫が自分に対して否定的な感情を持ち、人生に絶望するきっかけというものはあった。それは彼女にとって最も忌まわしい部分であった。

 

 

 

「あー疲れたー」

 月明かりや電灯がぼんやりと照らしている夜道。上には大きな道路があり、車が行き交う音がするが、今自分たちが歩いている場所は人通りの少ない道なのか車も人も見かけない。その道を歩きながら、隼人は首をこきこきと鳴らしていた。

「体力担当が何言ってんのさ、これぐらいで。老けこんだの?」

「紫苑……おまえ、いちいち一言多いんだよ」

隣で腹黒そうな笑顔を浮かべながら発言する紫苑に隼人が憎々しげに応対する。

「今日は珍しくお嬢と別行動だったからかなー、何か疲れたんだよ」

「何それ? みずたまちゃんがいると疲れないの?」

「おまえは違うのか? あの笑顔見てたら疲れなんて吹っ飛ぶだろ?」

 隼人が珠姫のことを思い出したのか幸せそうな笑顔を浮かべる。それを紫苑はふーん、と言いながら横目で見た。

「隼人は本当にみずたまちゃんが好きだよね」

「ああ! めちゃくちゃ大好きだ!」

 るんるん笑顔な隼人に対して紫苑は何か複雑そうな表情を浮かべていた。

――本当どこまでも正直な奴

 紫苑はそう心の中で呟きながら隼人をじっと見る。

――素直でまっすぐな奴だし、背も平均よりあるし、腕っ節も強いからいざって時は頼りになるし、声も意外とイイし、顔立ちは本当整ってるし、色白なせいかな、馬鹿のくせに上品な見た目っていうか、なんか綺麗だし……

「あ? どうした紫苑」

「……ほんと忌々しい」

「何だよ急に! 忌々しいのはおまえの性格だろうが!」

――あぁ、忌々しい、忌々しい! 絶対女の子なら僕よりこいつがいいに決まってる! 僕なんて平均よりチビだし細いし、目まで細いしそのうえタレてるし、性格が良いってタイプでもないし、どうせ頭がいいぐらいしか取り柄が……

 紫苑は心の中で隼人に対してか自分に対してか沸々と湧きあがるものをヤケクソのようにぶつけていたが、視界にある人物が入り、それを停止する。

「なんだよ忙しい奴だな……怒ったかと思ったら急に立ち止まってどうしたんだよ」

 隼人は紫苑の視線の先を辿る。そこには長袖のシャツも長ズボンも全身真黒なコーディネートをした黒髪の青年が立っていた。髪は短くも長くもなく、身長も平均的で体型は少しほっそりとしているが標準的。顔立ちも特にかっこいいわけでもなくかといって全く不細工ではない。どこにでもいそうな普通の青年といっていい。だが、浮かべた妙にシニカルな笑顔が似合っている、どこか普通とは違う雰囲気を放っていた。

「何だ? おまえの知り合いか?」

「いや、違うよ。そう言うってことは君の知り合いでもないみたいだね」

「ああ、違う」

 隼人と紫苑の会話を聴いているのかははっきりとしなかったが、青年が2人に手をあげて近づいてくる。

「やぁ、火弓解決屋事務所の方ですよね?」

 青年は笑顔を崩すことなく2人と2メートルぐらいの間隔を開けた場所で声をかけた。その声は甘さの感じられる、しかしどこか冷たいような声だった。

「そうですけど……依頼者様、ですか?」

 紫苑がそう尋ねると、青年は否定するように手をひらひらとさせた。

「いえ、俺はそちらの……湖 珠姫の知り合いですよ」

「お嬢の?」

 青年の笑みの冷たさが増す。

「貴方がたはご存じなんですよね? あいつの能力を、人と違う部分を。それなのに一緒にいると」

「それがどうした? 力があろうがなかろうがお嬢はお嬢じゃないか」

 隼人が青年の雰囲気を気に入らないもののように睨み、言う。

「へぇ……そういう方もいらっしゃるんですねぇ。たまたま、なんですかね……それとも、貴方達と会った異能者が珠姫だったから……?」

 青年は隼人と紫苑から視線を外し、独り言のように呟く。

「本当に腹が立つな……異能者なのに……」

 青年がそう言った時だった、物凄い勢いの突風と共に、黒い物体が青年に隕石が落ちてきたかというようにぶつかってくる。しかし、実際には青年にその物体はぶつからなかった。青年の周りにも風が起こり、その黒い物体が青年の横に落ちる。ぐわんぐわんと音を立てながら落ちたその物体は、風が止んだあたりでマンホールの蓋であることが確認できた。それと同時に、青年の目が金色に光っていることも確認ができた。

「マンホールの蓋って物凄く重いんだよな? こんなものいきなり横からぶつけてくるなんて卑怯じゃないのか?」

 青年が嘲笑めいた笑みを浮かべて、マンホールの蓋が飛んできた方向を見る。

「卑怯? 言ってろよ。私はたしかに卑怯なことが嫌いだけどな! テメー殺すことに限っては何でもいいんだよ! テメーみたいな糞野郎消すのに卑怯も何もあるか!」

 女の子ながら低い声。それは隼人と紫苑にとっては日頃よく耳にする声でもあった。だが、今まで聴いていた声より確実に怒気が上がっているのがわかる。

 ふわりと風を纏いながら、上の路から瞳を金色に光らせた珠姫が降りてきた。

「相変わらず品のない言葉遣いだなぁ珠姫? 女なら女らしくおしとやかにでもしてろよ」

「はっ! 今は個性の時代なんだよ! 女らしくとか何言ってんだ? 時代遅れか? 世相も読めない大馬鹿なのかテメー。それとも今時男尊女卑か? そんなんだからテメー彼女の1人もできねーんじゃねーのか? もてねーもんな!」

「おまえがそれを言うか? 俺は興味がないだけさ、本当にもてないのはおまえだろ? 平安時代でもないのにぽっちゃりして。胸ばかりでかくなってその顔で二十歳超えてるって言うんだから笑っちまうよな」

「負け惜しみにしか聞こえねぇな。ま、私ならテメーみたいな男、何億の大金積まれてもお断りだけどよ!」

「それはこっちの台詞だよ、心底おまえは不快だ。姿も声も何もかも腹が立つ存在だよ」

「テメーにだけは言われたくねぇな! 今すぐ殺してやるよ! 影山 永久(かげやま とわ)!」

 珠姫が右手を勢いよく上から振りおろすと、突風が吹き、永久へと襲い掛かる。永久も右手をかざし、自身の起こした風で珠姫の風を防御する。軌道を変えた風は、近くにたっていた電柱に深いヒビを刻んだ。

「お嬢……」

「隼人さん、紫苑さん。すみません、離れてて下さい。今までお2人の前でしていたような喧嘩とはワケが違います。私は、こいつだけは殺さないと気が済まないんです!」

 珠姫がまた腕を振り上げ、永久に向かって振りおろし、かまいたちを起こす。永久も同じような動きでかまいたちを起こし、2人の真ん中で風が激しくぶつかり合い、轟音を響かせる。

「おい、紫苑……」

「わかってるよ。僕は隼人より早くみずたまちゃんには出会ってるけど……あんな殺意こもった目をしたみずたまちゃんは初めて見るよ。本気であの永久って奴を殺そうと思ってるんだと思う」

「そんな! あの優しいお嬢が人を本気で殺そうだなんて……だって、人殺しなんてしたら……」

 隼人の悲壮めいた表情に紫苑は困惑の表情を返す。

「そんなの、そんなのダメです! お嬢!」

「馬鹿! 隼人よせ!」

 隼人がヤケクソを起こしたように珠姫の元に走り寄る。紫苑が制止するが、暴風によって紫苑の行く先も阻まれる。

「隼人さん!?」

 珠姫と永久の間に割って入るように隼人が飛び込む。その姿に気付いた珠姫は風を操りながら隼人の手を引っ張り、倒れこむ。珠姫は永久への攻撃をやめ、自分と隼人の周りに風を起こすことだけに集中した。2人を中心にした竜巻は永久の攻撃を跳ね返す完璧な防壁だった。

「何だよ珠姫……俺を殺すんじゃないのかよ」

「当たり前だな、テメーは殺す。だけど、大事な人を守る方が優先だ」

 2人の起こしている風がやみ、永久は珠姫を睨み、珠姫も永久を睨みあげる。

「興が削がれた。今日は退散するよ、またな珠姫」

2度と私の前に現れるな! 糞陰険野郎!」

 永久は踵を返し、振りかえりもせず、まっすぐ、来た道へと歩いていき闇に紛れて姿を消した。

「隼人さん、怪我はないですか?」

「はい、大丈夫です……すみません、お嬢」

 珠姫は、目の色も元の黒に戻り、普段通りの幼い印象の高い声で隼人に柔らかく話しかける。隼人は俯いたまま応えた。

「お嬢……さっきの奴は……」

 隼人が恐る恐るといった様子で尋ねると、珠姫は表情を曇らせる。

「影山 永久。私の中高時代の同級生です。そしてあの通り、私と同じ風を操る異能者でもあります」

 珠姫は淡々とした様子でそれだけ言うと、自分も立ち上がり、隼人の腕を引き、立ち上がらせる。

「さて、みずたまちゃんも隼人も怪我はなかったみたいだし、早く事務所に帰ろう。八千代さんと飛鳥くんが帰れなくなっちゃうし」

 紫苑はつとめて柔らかく、いつもの調子で言った。珠姫も普段通りの笑顔で頷き、隼人も少し戸惑いの表情を浮かべていたが、頷き、事務所へと向かった。

 

 

 

 次の日からも、何事もなかったかのように、火弓解決屋事務所では依頼を受け、任務にあたっていた。内容は恋愛相談を聴いたり、子供の面倒を見たり、買い物の荷物持ちだったり、失恋したから大騒ぎに付き合って欲しいなど、比較的簡単なものが続いた。

今日は背の高いかっこいい系の女性から、可愛い喫茶店に行きたいのだが、1人では気が引けるからと珠姫に同行を依頼するという内容だった。

夕方になり、女性は満足して珠姫に謝礼を出すと、楽しげに帰って行った。

珠姫は一仕事終え、事務所への帰路をのんびりと歩いていた。以前、隼人が子供にぬいぐるみをとってあげていた道にさしかかり、珠姫の足が止まる。

「何で……」

 珠姫の視界に入ってきたのは、先日と服装は違うものの、全身黒で統一された夕方ではまだ目立つ格好の青年、永久だった。

2度と姿を現すなっていうから現してやったよ」

「矛盾してるんだけど……」

 珠姫はぐっと身構えて永久を睨む。声に怒りはこもっていたが、夜のように低くはならずいつもの幼さの残る声、そして話し方も夜のようには荒れていなかった。

「当たり前だろ? 何で俺がおまえの希望通りにしてやらないといけないんだよ」

 永久は相変わらずシニカルで冷酷な種類の笑みを浮かべている。声質は一見すると意中の女の子を口説き落とすような甘い声だが、嘲笑っているようにも聞こえる。

「永久、貴方、私のこと不快なんでしょ? だったら私の顔見なきゃいけないような事態に自分で追い込むのおかしくない?」

「たしかにな。でも、おまえが不快そうにするのを見たい願望の方が強いのかもな」

「悪趣味……」

「今は事務所のお仲間さんもいないみたいだし、好きなように俺を攻撃すれば?」

「くっ……」

 珠姫はまだ沈みきっていない夕日を忌々しげに一瞥し、拳を硬く握って、永久へ一直線に走りだした。

「てぇぇぇぇぇぃっ!」

 珠姫が渾身の力を振り絞って永久に殴りかかる。しかし、その突き出した拳は軽々と永久の左手に収まってしまう。

「何だこの非力なグーパンチは」

「う、うるさいっ!」

 珠姫も背は女の子の平均より高いが、男性の平均ぐらいはある永久を自然と睨みあげる体制になる。永久は下にある珠姫の目線に合わせて、より嘲笑めいた笑みを浮かべる。

「日が出てればこんなもんか」

 永久は左手に力を込めながら、右手で珠姫の左腕を掴み、塀に押し付けた。

「痛っ! 離せ、永久!」

「異能者っていうのは日が出てるうちは本当、普通の人間なんだよな。嵐女とか呼ばれてるおまえも、ただの非力な小娘だ。ああ、おまえは異能と関係なく超能力が使えるんだっけ? でも喧嘩とかには何の役にも立ちそうにもないな」

「何が言いたいの?」

「散々思っただろ? こんな能力が無ければ、異能者じゃなければ、きっと幸せに暮らせただろうにって。虚しいよな、可哀想だよな」

「たしかに前はそうだったけど、今は、私は異能者でいい。異能が使えるから助けられた人もいた。それに、隼人さんも紫苑さんも飛鳥さんも八千代さんも、私が異能者でも1人の人間として認めてくれる、私は別に虚しくも可哀想でもない」

 珠姫は永久をキッとまっすぐ睨み、言い放つ。その言葉に永久の表情が歪む。

「何だよそれ……何で同じ異能者なのに、おまえには居場所が……」

 永久が憎しみのこもった声でそう言うと、珠姫を乱暴に離した。

「なら同じことだな、昔と同じようにおまえの居場所なんて壊してやるよ。親友ですらああなったんだからな」

 永久の言葉に珠姫の顔から血の気が一瞬引き、忙しくも今度は血が上ったのか激昂する。

「今度は昔とは違う! みんな私が異能者だと知って今の環境があるんだから!」

「ふん、おまえわからないのか? 世の中にはな、力に対して拒絶する奴らとそれを利用しようとする奴らの2種類しかいないんだよ。今、おまえの周りの奴らはおまえの力を都合よく利用してるだけなんだよ」

「違う!」

「違わない」

「違うったら違うんだぁっ!」

 珠姫が叫ぶと、衝撃波のような風が永久を襲う。目を金色に光らせ、風を何とか防御しながら、永久は空を見上げる。いつの間にか夕日が沈んでいた。

「そう思い込んでいるがいいさ。徐々に崩れていく。じゃあな」

 永久はそう言い、珠姫にあっさり背を向けて、風の勢いもつけて走り出す。

「待てぇっ! 永久ぁっ!」

 珠姫も自身から風を背後に噴射するというエンジンのように使い、駆けだす。2人とも一流の陸上選手もこうはいかないというスピードで街を駆け抜ける。道路に車は走っているが、歩道に人はおらず、2人の障害物は何もなかった。珠姫はそれをいいことに、かまいたちを永久へと放つ。永久は逃げる側なので防戦一方である。

「しつこいな……」

 永久は、物凄い勢いで風を噴射させると、道路を飛び越えて、駅前広場へと着地する。珠姫も追うように同じく駅前広場へ着地する。永久の黒い服を目印に人に害をあたえないように風は使わず自分の脚力のみで走る。人ごみを何とか切り抜けて駅の裏側へと出る。

「永久の野郎! どこ行きやがった!?」

 珠姫は360度辺りを見回した。だが、永久の姿はなく、完全に見失ってしまった。

「くそっ! くそぉっ!」

 珠姫は悔しそうに、そしてうっすら涙を浮かべながら地面に立膝をついて、アスファルトを殴っていた。

「私から大事なものも誇りも奪った……あいつだけは、あいつだけは絶対に許せない、絶対に、絶対に……殺してやる、殺してやる、殺して……」

 珠姫は涙を拭うこともせず、暗くなった空を仰ぎ見た。

「おまえだけはぶち殺してやる! 影山 永久ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 珠姫の、まるで野生の猛獣のような叫びは闇夜に溶けて消えていった。

 

 

 

「今日の依頼も無事終了ってことだね、ご苦労さま」

 八千代が珠姫の任務完了の報告を聴き、スカッとした声で言う。すると、珠姫が遠慮がちに小さく手をあげた。

「あ、じゃあすみません……私、ちょっと用事があるのでお先に失礼してもいいですか?」

「ああ、いいよ。お疲れ、みずたま」

 八千代がそう言うと、珠姫はそそくさと帰る準備をし、頭を下げてから事務所を出て行った。

「あの、みずたまちゃん……何かあったんですか?」

 飛鳥の言葉に、隼人と紫苑が少し驚いたようにそちらを見た。

「何かって……どうして?」

「いえ、みずたまちゃん元気ないなって思って……」

 飛鳥は、隼人と紫苑の視線が自分に注がれていることに、少し肩をすくめながらも口を開く。

「何て言うか、一見元気に見えるんですけどね。みずたまちゃんって微笑んでるのがたしかに多いんですけど、わりと表情豊かな方じゃないですか。なのに、なんか最近は妙に普段より明るい笑顔の比率が高いような気がして。良いことがあったのかなとも思うんですけど、それより無理して笑顔つくってるような感じがするんですよ」

 飛鳥の言葉を聴き、隼人が俯き、紫苑は窓の外を遠い目で見る。

「……俺、ちょっと散歩してきます」

 隼人が小さな声で呟きながら立ち上がり、玄関へと歩いて行く。

「……僕も」

 紫苑もそれに続くように隼人の後についていく。

「こらー、2人とも」

 そんな2人の背中に八千代が声をかける。

「『散歩してくる』なんて言葉濁さないではっきり言わないとね。みずたまの様子見てきたいんでしょ?」

 隼人と紫苑が図星といった表情で振り返る。

「ほーら行ってきなさい。あんたたちが何よりあの子優先なのはよーくわかってっから」

 八千代が小動物でも追い払うかのようにシッシという動作をして見せる。隼人と紫苑は苦笑しながら目を見合わせ、事務所を後にした。

「飛鳥ぁ、お茶〜、冷たいの〜」

 2人の背中を見送り、頭の後ろで手を組みながら八千代が言う。飛鳥は、はいはいと言いながらお茶を手際よく用意し、持ってくる。

「八千代さんってわりと隼人さん、紫苑さんに甘いですよね」

「だって、隼人は文句なくイイ男で目の保養だし、紫苑はなんか可愛いじゃない」

 八千代はお茶を飲み、まるでビールでも飲んだのかと思うような威勢の良い声をあげる。

「あんたもねー、隼人までとは言わないけどもっと見目が良かったらねぇ……。背はあるけどひょろ長いだけだし、顔も長いし……」

「悪かったですね〜、これでも彼女がいたことだってあるんですよーだ」

 飛鳥はお盆を胸に抱えて、すねたように八千代に背を向ける。

「今は……もう……遠い過去の話ですけど……」

 八千代から飛鳥の表情は見えないが、とたんに落ちたトーンの声に八千代も少し複雑な表情を浮かべる。

「飛鳥……」

「あ、すみません、辛気臭くなりましたね。大丈夫です。心はいつも一緒ですし、僕が今この道を歩けてるのも彼女がいてくれたからです。何も悲しいことなんてないですよ」

 飛鳥が普段の穏やかな微笑を浮かべて八千代に向き直る。

「無理して笑顔つくってるって……あんたが1番そうじゃない」

「あはは……でも、いいんです。僕が笑うことで誰かが笑ってくれれば、僕はそれがすごく幸せに感じるんです。だからかな、僕、今の仕事すごい好きですよ。困ってた人が笑顔になっていくのを見れるし。以前は頑なだったみずたまちゃんも隼人さんも紫苑さんも今は良い笑顔を浮かべられる人になって。この事務所が大好きです」

 飛鳥の笑顔はどこまでも穏やかだった。

「だーかーら、八千代さんも、そんな顔しないで下さい。僕は凄腕なのはもちろん、勝気で頼りになるいつも綺麗で、物を投げてくるぐらいの八千代さんが大好きですから」

「……ご期待にお応えしていろんな物投げてやろうか?」

「きゃー、怖い! でも悪くない!」

 飛鳥の調子っぱずれな声を合図にか、八千代の手からボールペンが勢いよく飛鳥目掛けて発射された。

 

 

 

 事務所を出た、隼人と紫苑はあてもないように歩いていた。事務所の周りは飲食店やオフィスなどもあるが区自体が学校の多い地域でもあり、また比較的裕福層が暮らす住宅街でもある為、夜は静かな方である。

「お嬢、どこ行ったかなぁ……」

「あのさ、みずたまちゃん、何で元気なくなったんだと思う?」

 紫苑が静かなトーンで隼人に尋ねる。

「やっぱりあの永久って奴が関係してると思うんだけど……」

 隼人は癖のある艶やかな黒髪を掻きむしりながら返答する。

「僕さ、何か少しあの時に似てる気がした」

「あの時?」

「君が、僕たちの前で昔の知り合いに会った時」

「ああ……あの時、か……」

 隼人が遠い目をし、懐かしそうに当時に思いを馳せる。

「あの時、君はどういう気持ちだったの?」

「何て言うのかな、不安とかそういうもやもやしたものがでっかくなって、無性に悲しくなって、1人になりたかった。でも心のどこかで誰かに傍にいてほしくて……お嬢が来てくれて、すごく安心した」

 隼人はそう言うと、紫苑と目を合わせた。

「お嬢も、1人になりたいけどやっぱり心細いのかな……」

「じゃあ、尚更探さないとね」

 紫苑が携帯電話を取り出す。

「お嬢に連絡でもするのか?」

「いや、実は探そうと思えば簡単に探せるんだよ。正確に言えば、みずたまちゃんの携帯がどこにあるかだけど、基本携帯は持ち歩いてるでしょ? GPSっていうのはさすがの君でも知ってるよね?」

「ああ、仕組みはよく知らねぇけど。居場所特定できるやつだよな?」

「そう。実は事務所メンバーみんながいる場所は、大体とはいえ僕は把握できてるのさ。だからね、もし隼人がみずたまちゃんとこっそり会おうものなら僕はその現場をおさえることだってできるんだよ、抜け駆けしたら大変なことしちゃうからね」

 紫苑は執念深さが出るようなねっとりとした笑顔で言う。隼人はその笑顔に背筋が凍るような気さえした。

「おまえ、怖い……」

「くすくす」

――まぁ、携帯置いて駆け落ちされたら何もわからないんだけど、そこまで頭回らないよね、この馬鹿は。それから、この機能つけたのが隼人を探したあの日以来っていうのは内緒にしとこう。僕が隼人を心配してたみたいで厭だからね

「みずたまちゃん宅の近く……かな」

「よし、とりあえず行くぞ!」

 

 

 

「いやぁ! 化け物! 近づかないで!」

「湖さんって危険人物なんでしょ? 関わらない方がいいよね」

「あんな化け物、親友と思ってたなんて……!」

 人の気配すらない公園のベンチに両脚を抱えて小さくなりながら珠姫は座っていた。脳内に思い出したくない記憶がよみがえる。

「異能者は化け物なんだよ、化け物が人と仲良くなんかできるわけがない」

「誰もおまえなんて受け入れてくれるわけがない」

「所詮1人で生きていかなきゃいけないんだよ」

 記憶を消し去ろうとすると、忌まわしい宿敵、永久の声が響く。珠姫はそれすらも消そうと勢いよく左右に頭を振る。

――そんなことない、父さんだって私をいつも可愛がってくれた。八千代さんは私の能力を知りながら声をかけて迎え入れてくれた。飛鳥さんだっていつも笑顔でいてくれて……それから何より……

「隼人さん……紫苑さん……」

「呼びました?」

「ひゃあっ!」

 地面しか映りこんでいなかった自分の視界に突如入ってきた見慣れた綺麗な顔に珠姫は間抜けな声をあげてベンチの上に飛び上がる。

「な、何故に、隼人さん、どうしてここに!?」

「うーん、いろいろあってというか」

 隼人はしゃがみこんだまま珠姫を見上げて応える。

「みずたまちゃん、酷いなぁ、僕は視界に入れてくれないの?」

 苦笑しながら紫苑も近づいてきた。

「お嬢、お嬢は俺が嫌な過去つきつけられた時、傍に来てくれて、ずっと待ってくれましたよね?」

 隼人は優しい笑顔を浮かべて珠姫に話しかける。

「俺、無理に訊いたりしませんよ。お嬢も、俺が話すのずっと待っててくれたから。お嬢にもやっぱり思い出したくないものとか辛い過去とかあって当然だと思うんです。そういうのって簡単に話したりできなかったりもしますし……お嬢が黙ってたければ何も言いませんし、話したくなったらいつでも聴きます」

 隼人はそう言うと、ゆっくり立ち上がった。その隣に紫苑が並ぶ。

「僕の話も、みずたまちゃん、ずっと聴いててくれたよね。僕が過去やったことは犯罪ではなくても褒められたものじゃないと思うんだ。でも、そんな僕でもありのまま受け入れてくれたよね、今もずっと。どんな力があってもどんな一面があっても、みずたまちゃんはみずたまちゃんだよ」

「異能や超能力があっても、もしなくても関係ないです」

「だって僕らはみずたまちゃんに絶対的なこの感情を持ってるんだから」

 隼人と紫苑はすっと珠姫に向けて手を差し出した。

「大好き!」

 隼人と紫苑が何の含みもない太陽のような笑顔を浮かべて見事なユニゾンで伝える。ぼんやりとした灯りしかないのに、珠姫にはそれがとてもまぶしく感じられた。

「私も大好きです〜」

 珠姫は2人の手をとり、涙を流しながらふわりと着地した。

――何で少しでもみんなの優しさを疑ったんだろう、こんなに優しい笑顔を私に向けてくれるのに……

「それじゃあ、夜道は危険ですし、お嬢送っていきますよ」

「行こう、みずたまちゃん」

 右手に隼人の、左手に紫苑の温かさを感じながら、珠姫は照れくさい笑顔を浮かべて歩き出した。

――大丈夫、私の居場所はたしかにここにある。この絆は簡単には壊されないよ。そうですよね? 隼人さん、紫苑さん

 珠姫は幸せを感じながらぎゅっと2人の手を握った。

 

 

 

「今日の依頼は、とある学生さんから。演奏会のパンフレットづくりが間に合いそうにもないから印刷手伝ってくれだって」

 八千代はメールが印刷された用紙を見ながらそう言う。実に淡々とした様子だった。

「なんか最近、こういう仕事多くないっすか?」

「解決屋っていうか便利屋っぽくなってきたね」

 隼人と紫苑が少し不満げそうに言う。

「何言ってるんですか。平和的でいいじゃないですか。ねぇみずたまちゃん?」

 飛鳥が笑顔でそうふると、意外にも珠姫も不満そうな顔をしていた。

「うーん、私、もっと暴れたいです……」

「ちょっとみずたまちゃん!? 何物騒なこと言ってくれてるんですか!?」

「せっかくの異能も超能力も使わないと鈍っちゃいそうですし」

 珠姫が普段の温厚そうな笑顔を浮かべて言う。

「もっとレベルアップして、いずれ永久の野郎をぶち殺さないといけないですし」

 その温厚そうな笑顔はかなり凄惨な笑みへと変わり、飛鳥はもちろん両隣りに座っている隼人、紫苑さえも震え上がらせた。

――俺、異能使って暴れてるお嬢より、今のお嬢が1番怖い……

――みずたまちゃんの凄みってすごいな……ダイヤモンドダストが見える

「さてと、メールでってことは現地集合ですよね? 八千代さん」

 表情を器用にもころっと変えて、珠姫がぴょんと可愛らしい動作で立ち上がる。

「その通り。依頼主の大学の地図もあったから……よし、これだね。ほーら、隼人も紫苑も顔ひきつらせてないで行った行った!」

「はーい」

「行ってきます」

 珠姫、隼人、紫苑が玄関に向かう。その足取りは軽やかだった。

「頼むよ、みずたま、隼人、紫苑。あんたたちは人を笑顔にできる解決屋トリオなんだからね」

 

火弓解決屋事務所。今日も依頼主の悩みを解決する為に奔走します。