「どうだろうね?」



 それは隣にいた後輩に言ったものかもしれない。

 それは……。

 私に言った言葉。

 今の私に、昔の私に、未来の私に……。




 私は都内の某中堅私立大学に通う4年生だ。

 なんてことのない4年生。心理学を勉強し、同年代の友人たちと他愛の無い話をし、所属サークルである箏曲研究会の活動に勤しむ。

 そして、卒業をあと1年と経たない頃に控えている私は現在就職活動中だ。

 悲しいことに特別優秀では無い私はまだ内定は貰っていない……なんては言わない。

 内定はたしかに貰おうと思えば貰えたところもあって自分で蹴ったのだが、本当に今内定は手にしていない。

 私が否定したいのは“特別優秀では無い”だ。別に自分を卑下したくないとかではない。わたしは自信過剰な部分も少なくないかもしれない性格だが、自分の悪いところだって知ってるつもりだし、自分のことを悪く言うことに拒絶するわけではない。

 ただ“特別優秀な人”と“特別優秀でない人”がいるのか否かということで否定したい。


 人は順位付けが好きだと思う。


――今回のテストは〜さんが一位だって


――うちの部で一番上手いのは……


――私はあの子が一番好きだなぁ


 順位をつけてしまえば楽。他人に説明するのも、自分を納得させるのも。

 もちろん明確な順位はある。それを競ってこそ伸びていくものもある。私はそれを否定しない。みんながみんな横並びなんて気持ち悪いだろう。スポーツだってつまらないしコンクールのやりがいも薄れる。


――私はあの子以外には絶対うちのサークルで負ける気は無い


 私はそう言った。

 私は他の子に負ける気はしない。何故なら練習量が違うからだ。

 負けたくない、負ける気も無い。


 かといって私が周りより優れてる?


 狭い視野で見れば、だ。


「先輩って大人ですよね……」

 私たちの代からサークルの運営は下に引き継がれた。

 組織の運営はたとえ小さいものでも楽ではない。後輩も過去私がそうであったようにいろいろと気を揉んで悩んでいるらしい。

 私はもちろん自分の後輩は可愛いから、話を聞いていた。

「1つしか違わないのに……私って子供だなって思って」

 見た目は私より落ち着いていて大人っぽい1つ年下で1つ学年も下の後輩。

 私の一番長くやっていた役職も受け継いでおり、私と一番いっしょにいる時間の長い後輩でもある。多くの時間を共にしていたせいか、彼女は私に感化されているところもあり、少し似てきている。本人曰く、また周りの人から聞いた話でもあるが、彼女は私を尊敬しているからなのだとも言うが。


『あんな先輩がいて箏曲は羨ましいって言われたんですよ、やっぱり先輩はすごいですよね!』


 他サークルにも同じジャンルの音楽を嗜む他大学の人にも顔がきく私。いつの間にか親しまれ、慕われるようにもなったらしい。たしかに、私が顔を出すと、自然と人が集まってくるなぁと思う時もあったけど、実感は無い。

「どうだろうね?」

 私がそう呟くと、後輩はキョトンとした顔をした。

「私は別に大人でも無いよ。まだまだ馬鹿だし、馬鹿は一生直らないかもしれないし……」

 自分を卑下してるわけじゃない、ただ……。

「いろいろあったから、前より見えるものも増えて落ち着いただけ。大人なんかじゃないし、凄い先輩でも何でも無い」




 小さい頃は無愛想な子供だった。勉強が好きだった。頭は良かったけど何も見えてなかった。見えるものは目に見えるものが全てだった。

 転校して東京生まれで東京育ちだからといじめられた。服で隠せるところが痣だらけになるぐらい殴られたし蹴られた。何を言っても無視された。担任の教師にさえ学校の備品で殴られた。私は声を失った。でも、私を無視しないで拒絶しないで見てくれる友がいた。私は人の痛みと共に理解してくれる人の優しい心が見えるようになった。

 東京に戻ってクラスのリーダー的存在になった。自分の思ったことをきちんと相手に伝えることからまず人間関係がはじまるんだと、私は人と人の間にある何かがうっすら見えた。

 中学に、高校にあがった。六ヵ年一貫の女子校だった。何か気に食わなかったのか、見た目の弱そうな私はまたいじめの対象になった。一緒にいると被害がくると思ったのだろうか友人は私から離れて一人ぼっちにされた。小学生の頃の親友はこの世を離れ、私は信頼できる他人を失った。そして今まで見えていたはずの優しいものが見えなくなった。私は人を憎むようになった。やられれば同じくらい、それ以上に苦しむように手配した。他人の苦しむ姿がとても好きだった。いい気味だった。私は私さえ良ければ他人なんてどうでも良かった。とうとう人の痛みすら見えなくなった。

 大学に上がった。大切な人の面影を追ってはじめた箏をやることにした。サークルは練習日も無く、部員同士の交流の場も無かった。合奏ができなかった。人の痛みが見えないくせにやっぱり一人ぼっちが怖かった。私は人に働きかけた。集まろうと、練習しようと、仲よくなろうと。実行に移すことで実現した。私は自分が何をしたいか考え自分で動くことで叶うという小さな希望が見えた。

 2年生になり同期の、しかし1つ上の学年の部員と対立した。学年が下なのに、去年大学生になったばかりのくせに部の中心になっていた私が気に入らなかったらしい。私が初心者の子を教えるのに不足無いよう必死に練習したのも、誰より努力してきたのも見ようとはしない。いや、その人だけでなく、私を責めはしなくても誰もががんばりや熱意を受け止めてはくれなかった。私は昔忘れた痛みと共に怒りと悲しみがこみあげた。



「死にたい」



 がんばっても一生懸命になっても認めてなんてもらえない。昔から私は受け入れてなんてもらえない。

 “私”がいらない人間だから?


――がんばってね


――すごいね


 応援されてるのに、ほめられてるのに。

 違うんだ、何かが違う。何かが見えない。


「嫌なことがあっても、信じてがんばり続けたら良いことがおこるよ」

 私とあまり身長の変わらない他サークルの先輩がまっすぐ私の目を見てそう言った。励ましてくれるんだな、ぼんやりと思った。

「こんなにがんばってるんだもん。誰にも理解されないなんてはずないんだから。少なくても僕は本当に箏が好きで、人のために一生懸命になれるお嬢を応援したいって思うよ」

 伏し目がちになっていた私の目も、まっすぐ彼を見た。

「うちのサークルもいろいろあるけど……お嬢みたいにがんばってる人もいる。僕もがんばるから、一緒にがんばろう」


――お嬢はもう一人じゃないよ、もう大丈夫だよ


 いつも頼りない彼は呟くように、優しくそう言った。

 私は涙が溢れた。わんわん大声を出して泣いた。

 ずっと怖かったんだ、私は。一人ぼっちが。子供のときからずっと。親友を喪った時から恐怖に震えてたんだ。

 嫌だったんだ、自分が。人に受け入れてもらえない、理解されない、孤独な自分がたまらなく嫌だった。みんなに愛されるような人に生まれてきたかったのに、こんな自分になりたかったんじゃないのに。

 でも、こんな私でも、見てくれる人が、少なくとも理解しようとしてくれた人がいた。

 “がんばって”

 そんな激励いらない。だって、私とその激励を送る人は何のかかわりも無く感じるから。

 私ががんばってもその人とは何も関係無い。それが「がんばって」だよ。ただ、私にはがんばらなきゃいけないプレッシャーだけ残って。一人でがんばらなきゃいけない孤独感が迫ってきて。そんな言葉聞き飽きてた。聞きたくなかった。

 “がんばろう”は、同じ意味に聞こえるけど違う。そこには自分とその人との関係性が見える。一緒にがんばる人同士の。場所が違ってても、同じような思いで戦う人がいる。それはとても心強いものだ。

 欲しかったんだ、そんな言葉が。それをくれる人が。それを貰える私が。

 嬉しくて、安心して、二十歳になったにしては幼い泣き方で泣いた。

 その人は、困ったような、でもやっぱり優しい顔で泣き止むのを待ってくれていた。

 印刷機のインクのにおいがたちこめる汚れた白い壁のちょっと薄汚い部屋は、あたたかく感じた。




 私は彼から学んだ。

 彼は私の全てを理解してたわけじゃない。半年もいっしょにいなかった時の事だったし、しかも私と彼は週に一度、何時間かぐらいしか顔を合わせない間柄だった。

 それでも、私が話すことを聞き、その時々の表情や話し方、振る舞いを見てくれていた。ただ、まっすぐ何も決め付けず接していた。

 他人の全てなんてどんなにいっしょにいてもわからないものなのかもしれない。

 大切なのは理解したい気持ちなんだと思う。受け止める心なのだと思う。

 対立した人も、私は否定の言葉を一旦は受け止めてみるべきだったのだ。そうでなければ相手の考えは見えない。それに気づくのは少し遅かったけど。

 私は人を、一人一人見てあげたい。理解したい。受け止めてあげたい。一人でも多くの人が笑顔でいられるように。楽しい時間を過ごせるように。生きがいを見つけて活き活きとできるように。

 誰も一人ぼっちになんてしたくない。

 その気持ちを持って社会に出たい。その思いを大事に就職活動をしている。

 彼が私を助けてくれたように、私も誰かを助けたいから。

 彼のような人間になりたいから。

 そう感じた時から私は変わっていった。人との接し方において特に。必ず受け止めよう、そう思って相手の話を聞きだしたり、普段時間を共有できる時は様子を見守った。少しでも相手を理解できるように。

 その思いが通じたのか、私は信頼される人間になったらしい。

 今も孤独は怖いけれど、自分を好きになれた。

 変われる自分を。人を受け入れようと必要があらば自分を殺すことも厭わなくなった自分を。他人の笑顔が、私の喜びであるという自分を。

 今、私はいろんなものが見えるようになった。自分のことも周りのことも。見る余裕ができたのだ。




「凄い先輩じゃないけど、私は成長したよ。随分。いろんなことがあって今の私がいる」

 私は後輩をまっすぐ見た。鏡が無いからわからないけど、きっと私は笑顔だろう。少し勝気な。

「楽しいことばっかりじゃないけどさ、ふんばりどころだよ。キミは大丈夫、むしろ2年目で私が3年目にやったことをこなそうとしてるんだし、いくつかはもうこなしたんだから立派なんだよ?」

 私のようになりたいと思ってくれた後輩、それはとても嬉しいけど……。

「キミは私と違うキミらしさがあるんだし、私とは違う可能性もまだまだあるんだしね。私は先輩だから援護はするし。でも、今は悩め、そして何をしたいか考えな。そして何がしたいか、どうなりたいかわかったらそれに向かってがんばっていけばいい。私も私のそれに向かってがんばるから、お互いがんばろう」

 私のよくする、少し意地悪そうな笑顔でそう言った。後輩も「はい」と言って彼女によく似合うお茶目な笑顔を見せた。
私には私の優れたところが、後輩には後輩の優れたところが、先輩には先輩の優れたところがある。人の優秀さに優劣なんてつけなくていい。その人が自分らしく見つけたものでがんばって、その人が満足するように。笑顔になれればいいんだから。




 家に帰って顔を洗う。
 鏡に向かって微笑みかける。やっぱり、ちょっと私の笑顔は意地悪そうだ。自信家そうというのか……。


――それって、私にあの先輩のようになった方がいいってことですか?


――さぁ? どうだろうね?


 彼も、よく意地悪そうに微笑んでいた。

 答えを教えない意地悪な先輩。

 きっと、答えを出すのはその人自身じゃないといけないって言いたかったんだろうね。

 それもどうだろうねって言われちゃうのかな。

 それは私に言った言葉。

 私自身が。

 私の尊敬する先輩が。

 答えは誰も知らないから。自分しか見つけられないものだから。どうだろうね、としか言わない。


 みんな自分の答えを見つけてね。私も見つけてがんばるから……。


〜あとがき〜
 『ぴよぴよ』は私の暴露話率が高いですね〜。
 私はもちろんえいです。後輩も実際の後輩の感じで書きました。
 先輩はおなじみのあの方です。意外かもですが、本当に感銘を受けている尊敬すべき先輩なのです、彼は。今私が抱いている夢も彼に会ったからこそ見つけたものですし、私には多大な影響を与えています。
 そして、後輩から学ぶものも多いです。この話に出てきた後輩はかなり私よりな子なので意見が対立したことは一度もないですが。
 小さな組織でも対立したりはします。今の私は対立相手の意見を否定したりしません。受け入れます。流されるつもりはありませんが、自分の意見ばかり主張するのも子供みたいですしね。何もかも自分の思い通りに運ぼうとするのではなく、お互いの意見を尊重しあって、よりよい結果に導くためには、受け入れていかないといけないこともたくさんあります。
 私は「自我を大事にする」意味を取り違えて、何人もの人に不快な思いをさせてきてしまいましたが。上手いこと自分の意見にもって行ける人はそれもそれで才能ですけどね、押し付けないよう気をつけましょうといったところですか。
 いろんなことを経験して、失敗して屈折して……そうやって見えてくる何かがあると思います。愚かなこともたくさんしてきたけど、きっとそれは無駄じゃなく今の私を形成しているのだと思います。
 就職活動も上手くいかないですが、その中で見つけた私の答えを追うべくまだまだがんばりたいと思います。共にがんばろうと言ってくれた先輩や仲間、後輩という心強い存在がいてくれたから私はつっぱしれます。
 一人でも多くの人が自分の答えに向かっていく、活き活きとした人に、輝ける人になってくれたら、と願います。