『三角戦記』のえいのお話です。


 皇女として生まれた私は大事に育てられました。

 次の王として育てられた私には不自由なものなど無かったのです。

 願えば何でも与えられたから。

 でも、本当に欲しかったものは……。

 本当に手に入れたいと願ったものは……。


 今まであったのでしょうか?




「本当に手に入れたかったモノは何ですか?」




 私が12歳になった誕生日の時、私を愛しみつつもつきっきりで面倒を見られない母の代わりに私の世話をしていた、いわゆる乳母めのとが言った言葉でした。

 私は意味がわからなかったのです。何故彼女がそんなことを言ったのか……。

 わからないまま、彼女を私はうしないました。

 私に手に入らなかった、本当に欲しいものがあったのか……。

 そんなことを思いながら1年の時が経過していきました。




 外は寒い冬。吐く息は白く、街行く人々は皆あったかそうな格好をしているのが見えます。

 城の中はあったかいのが救いです。

 サンデルタ国の技術を司る民、クラフト人の設計により、夏は涼しく、冬は暖かいつくりになっています。

 とはいえ、真冬は暖炉も何も無い部屋は寒いけれど。

「つまらない、ですね……」

 乳母がいなくなってしまってからは、侍女はいるものの話し相手も無く、勉強すること以外やることは無いのです。

 淡い桃色で彩られた木でできた質素な家具は落ち着いているものの、我ながら少女趣味というか、いかにも女の子の部屋ですといった室内を見渡してみても、面白いものは出てきません。

 にこにことした顔をつくってはいるのですが、実際つまらないと思っているのが現実です。

 私の唯一の楽しみといえば……。

「よし! みやに行ってみましょう!」




 城には衛兵や役人などをはじめこの城、及び大聖堂などの機関に従事している者が住まうの宮。謁見の間や王族の部屋、会議室、応接室。政治で使われる主要機関が揃っている中央宮ちゅうおうきゅう。それから、闘技場やホールなど訓練に使われたりイベントを行う時に使われる右の宮があります。

 今私がいるのが右の宮。

 右の宮の小ホール。ここは城でパーティーをやる時などにバックで演奏したり、建国記念祭などにも演奏会を開く、楽団員が普段練習に使っている場所です。

 楽団員には、古くから伝わっている音楽を得意とする者、それから近代に現れた音楽スタイルを取り込んでいる楽団員など様々な人がいます。

 私はことという和族……自然を司ると言われ、神秘の力――魔法とも言われます――を持つ民である和族の伝統的楽器を嗜んでもいるのですが、音楽は全部好きです。

 ここで様々な音楽を練習している人たちを時々見に来るのは唯一の楽しみ。

「……?」

 あまり耳慣れない音色がしたので、私はそちらに目を向けました。

 そこには、横笛を吹いている少年がいました。

 同じ和族なのか、彼も和服を纏っていました。茶色の髪と少し黒い肌をしていましたが、顔立ちから察するにやはり和族なのだろうと思います。

「瑛皇女殿下、ごきげんよう」

 私に穏やかな笑顔で話しかけてきたのは楽団の指揮者を務めている男性でした。初老の紳士といった風貌で、クラフト人なのでタキシードがよく似合う方です。

「ごきげんよう。あの、笛を吹いている方はどなたですか?」

「ああ、彼はたしかあかつきくんといいましたかな。最近、王妃様の推薦で入団した者です」

 王妃、とは私の実の母であるまことという女性です。とても品のある優しいお母様で、私と同じで音楽が好きなところもあります。

「孤児で、身よりも無く、旅芸人の人にあの篠笛しのぶえをしこまれたそうなのですがこれがなかなかの腕前でして。ちょうど和楽の笛吹きに欠員も出ていますし活躍が期待されます」

「そうなのですか……」

 私はそれだけ反応を返すと、また練習に目を向けました。

 指揮者さんも練習のため私に軽く挨拶だけして持ち場に戻りました。


 私は来る日も来る日も、練習をのぞきに来ました。そして、篠笛吹きの暁という方をいつも見ていました。どんな方なのか全く知らないけれども、その通り抜けるような気高くも優しい音色が私には心地よかったのです。

 箏を私に教えてくれている楽団員の人を通じて時々その暁とお話をするようにもなりました。もちろん、前からいつも暁を見にきてたことは内緒で。



 そんなある寒い日……。



「瑛姫様、王妃様がお呼びです」

 私は若草の和服を纏った侍女に呼ばれ、母の部屋へと向かいました。

 中央宮の中に母の部屋もあり、自室から遠いわけでもありません。ノックをすると、優しい母の声が「どうぞ」と。

 中は私と同じく質素な木製の家具が置かれた落ち着いた部屋です。

 そこに、赤い上品な和服を纏った黒髪の美しい女性、母と……。

「皇女様、こうして会うのは初めてですね、暁です!」

 篠笛吹きの暁がいました。

 彼は、深々とお辞儀をした後、私を見てにっこりと微笑みました。

「え、あ、はい。そ、そうですね……」

 私は何故か緊張してしまい、挨拶の言葉が綺麗に出てきませんでした。

「暁は14歳。瑛、あなたの1つ上です。この城にはあまり年齢の近い人もいないでしょう? 時々あなたが暁とおしゃべりしてるって聞いて、あなたの話し相手をしてもらえないかと頼んだの」

「僕も楽団員はほとんど大人の方ですし、少し寂しいので、皇女様さえよろしければぜひお相手させて頂きたいと思いますのでよろしくお願いします」

 私はなんだか上手く頭が働かなかったのですが快諾しました。


 暁とは世間話をしたり、いっしょに本を読んでその感想を話したりもしましたが、音楽の話を熱くしてくれて、それが一番楽しい時間でした。

 公務をあまり積極的に行わず、引きこもっているように見える父に心配を抱き始めた私は、進んで政治の勉強をし、王族にしか使えない秘術、自然龍しぜんりゅうの訓練にも力を注ぎました。

 一方暁の方は楽団員としての稽古時間も頑張りながら、何故か兵士としての訓練を受け始めるようになりました。




 忘れもしない、冬の日。私が14歳、暁が15歳で迎えた冬の日です。

 大聖堂で行われる、暮れの感謝祭。

 ステンドグラスが鮮やかな真っ白な壁と床が象徴するような穢れの無い崇高なる大聖堂。多くの神官が祈り、司祭が今年一年無事に過ごせた感謝と今年の反省を皆に心の中でするようにという少し説教くさいお話がされている中でした。

「反省なら一番しなきゃいけない奴がいるぞ!」

 いきなり、若い男性が声をあげました。

「玉座に座ってる王様! あいつなんにも国民のため仕事してねぇじゃねぇか! ここに引きずり出して反省させろよ!」

 男性の周りの青年たちも立ってそうだそうだと言い出しました。

 司祭や神官が止めるも、それは止みません。

「王様が出てこないんだったら、皇女! あんた娘なんだからおまえが代わりだ!」

 神官たちを殴り倒して青年たちが私の方へと向かって来ました。聖都守衛隊員や衛兵たちも私の方へ守るためか走ってきました。でも、それより先に……。

「ぎゃあっ!」

 私と彼らの間に立ちふさがったのは、暁でした。

 暁はさやにしまったままの刀で彼らを払いのけていったのです。

「そう言いたい気持ちを否定することはしないけど、姫様になすりつけるのはおかしいだろ!? その行為を反省しろ! どうしても姫様に危害を加えるんだったら、俺が相手してやる! 大聖堂で血は流させたくないけどな!」

 暁の勢いに怯んでいる隙に、彼らは衛兵たちに取り押さえられました。

 感謝祭をその後、なんとか穏やかに締めくくり、私たちも大聖堂を後にしようとしました。

「姫様……」

 暁が私を呼び止めました。その表情は真剣でした。

「俺を、あ、いえ、僕を姫様の話し相手から護衛に昇格を願い出ることを認めていただけませんか?」

「暁……?」

「俺……あー、だから、ああもういいや俺で! 俺、姫様が一生懸命、良い王になろうとしてるのを見てて、お手伝いしたいって思って……でも何かできるわけじゃなくて……せめてお守りさせて頂きたいって思ったんです」

「それで、剣や魔法の訓練を?」

「ええ。何があっても姫様を守れるよう並の兵士ぐらいの力はつけてきました。姫様は将来王になる方だから本当に大変だろうし、狙われてしまう危険だってあるから、何があってもすぐお守りできるように」

「そんな危険になってしまう役割ならいずれ私にも兵士の中から護衛ぐらい……」

 私がそう言いかけると暁は首を横に振りました。

「俺、知ってるんです。姫様がなかなか本音を言わないこと」

「え?」

「姫様、欲しくないもの贈られても喜んだふりしたり、つまらないのに楽しいふりしたり、悲しくて辛いのに何ともないふりしたり……多少は必要かもしれないですけど、そんなことばかりしてたらいつか壊れちゃいます! 俺なら姫様が本当に思っていることを言って下さってもそれを全部受け止める自信があります! 姫様をよく知らない兵士なんかに姫様の護衛させたら、また姫様仮面かぶって無理するに決まってます! 俺を護衛にして始終お傍にいさせて下さい!」

 暁は感情的になって、必死に私にそう言いました。食い下がるような目で、私は完全に圧されていました。

「俺、嬉しかったんです。初めて王宮に来て、不安な状態のまま楽団員やってた時、いつも自分の練習を聴きに来てくれる女の子がいて、ああ、俺一人じゃないんだなって」

 私は頬が熱くなる感覚がしました。私がいつも暁を見に行ってたのを本人に知られていたことが今わかったからです。

「姫様が俺の支えになってくれたように俺も姫様を支えたいんです! 姫様が気軽に本音を話してくださるようなそんな護衛になりたいんです!」

 支え、本音……私は乳母の言葉を思い出した。


――本当に手に入れたかったモノは何ですか?


 私はきっと本当に思っていることを周りに言わないでここまできたのでしょう。乳母もそれに気付いていたに違いありません。

 どんな時も皇女であり、次の国王である自分。そう律していた。

 本当に欲しいものを親にねだったことも私には無い。

 私が本当に欲しかったものは、私が立場から少しでもいいから開放される場所。

 そう、自分を……役割とか立場を関係なく見てくれる人、それが私の支えになる。それがずっと欲しかったものだった、私は今はっきりとわかったのです。

 きっと、暁を毎日見に行っていたのは、彼のつむぐ優しい音色にそんな希望を抱いていたのかもしれません。



 私は暁を護衛にしたいと願い、母はそれを正式に発表してくれました。

 こうして、サンデルタ国第一皇女瑛の護衛暁は誕生したのです。




 あれから5年……。




「暁ー? あかつ……!?」

 右の宮、小ホール。私は、新年行事の演奏に助っ人を頼まれている暁を探しにやって来ました。

 すると、舞台の真ん中に倒れている彼を発見したのです。

「皇女殿下、お迎えお疲れ様です」

 彼の指揮者がそこに穏やかな笑顔でたっていました。

「個人練習を張り切ったのはいいのですが、そのまま寝そべって今に至ります。疲れて眠っているだけですのでご心配無く」

 指揮者の言うとおり、暁はすーすーと寝息をたてていたので、心配は無さそうです。

「では、私も失礼しますので、あとはよろしくお願いします」

 そのまま、私は寝ている暁と共に取り残されてしまいました。

 小ホールもわりと冷え込むのに、暁ときたら寒くも無いのか気持ち良さそうに寝ています。

 5年の間に、私の公務の量が増えたり、暁の身長を私が追い抜いたりもしましたが私たちの絆は変わることがありません。

 私に婚約者ができた後も……。

「暁、顔立ちは大人なんですけど寝ると子供ですね」

 私は幼い寝顔の暁に笑みを漏らして、屈んだ。そっと手をのばすと、暁の茶色い柔らかい髪に触れられる。

 さらさらと私の指からすべり落ちていく髪。

「本当に欲しいもの……もし我が侭がとおるなら……」

 本当に手に入れたいモノは今目の前にある。

 手も届く。

 でも、それを叶えることは決してできない身分だということを私は忘れてはいけない。

 辛くても悲しくても……。

「最初は、支えてくれる人がいれば、と思っていたのに人間って欲張りなんですかね」

 暁の優しい笑顔も、綺麗な笛の音色も、落ち着いた声も、低い身長と細い体のわりに大きい温かい手も、穏やかな性格も、柔らかい髪も……彼の全てを欲しがる自分。

 欲しがってはいけないのに……。

「う〜ん……」

 暁が起きそうで起きないのがもどかしい時間ではありますが、幸せそうな寝顔が私の気分を和らげているのは事実のようです。

「暁、こんな風に想ってしまってすみません。お父様、お母様……我が侭は絶対に言いません、国のためにも……」

 私はまた暁の前髪に触れそれをかき上げるようにしました。

「でも、願うだけは許して下さい……」

 私はそっと、彼の額に口づけた。

 寒いホール内も少しあたたかく感じられました。


 そんな冬のある日のこと……でした。

 私だけの秘密の時間。


〜あとがき〜

 クリスマス小説なのに、あまあま<せつない ですみませんm(_ _)m
 合同企画『三角戦記』より瑛と暁のお話でした。
 瑛は言葉が丁寧だったので一人称小説で書くととっても書きにくかったです(爆)
 暁は私にとっては恩人の先輩をモデルにしていて、いろんな作品でも彼がモデルのキャラは多いんですが、いい加減さがこの暁では出ないので、なんか違うような感じもする(ちなみに同モデルキャラは『音系シリーズ箏曲さんが行く!!』の綾瀬さんと『音楽を奏でながら』の慶磨です)
 まあ、そのいい加減ささえ無ければ、の人なので暁はかなり良い男なんじゃないかなと思います。
 背、ちっちゃいですけどね(158cm)
 瑛には菖蒲あやめという婚約者が、いわゆる「許婚いいなずけ」がいます。見目麗しく地位も実力もある青年なので女性には大人気なのですが、やっぱり自分の好きな人が一番良い男ですからね。

 三角戦記は瑛と暁に限らずせつない印象が多いという感じのファンタジー小説になってますが、年末年始、少し時間があるのでこっちもがんばりたいと思います。

 それでは2006年クリスマス小説でしたー。