『天明皇子記』という作品で書きました。

 天明国てんめいこくの中枢である宮廷。

 朝の光に赤い常に磨かれた瓦の屋根が更に明るい色を見せている。手入れされた庭の木々から小鳥のさえずりが聞こえる。池の鯉も元気よく泳ぐ。爽やかな空気、良い朝だった。

 庭を、肩より長い髪をきつめに結った、青い服を纏った少年がゆっくりとした足取りで散歩していた。

 パタパタと足音が少年を追ってくる。

陽俊ようしゅん! 勝負!」

「朝の挨拶は無しかよ……」

 陽俊と呼ばれた少年は眠たそうな呆れたような顔で、自分の傍に駆け寄ってきた竹刀しないを持った少年を見た。

 腰あたりまで伸ばされた綺麗な髪は先端に近い部分で結われ、白、金、紫という高貴な色で彩られたゆったりとした服を纏っている。勝気な光を瞳に浮かべた少年はキッと陽俊を見つめている。

「いいから勝負するんだ!」

「あのな、秀雅しゅうが

 陽俊は秀雅と呼んだ少年の顔の前にてのひらをかざすようなポーズで制止する。

「やんなら道場行かねぇか? ここでやりあったら俺がどういう処分されるかわかってねぇだろ?」

 陽俊の言葉に秀雅が首を傾げる。

「おまえ、やっぱいろんなことに自覚とか無いのな。宮様を武術の稽古の名目以外で俺がぶっとばしたりでもしたら、どんな処罰が俺に下されるか……。第一、影鈴えいりんだって道場以外じゃぜってー稽古なんかつけないだろ? それはそういうこと」

 陽俊の言葉を最後まで聞くと、秀雅は頷いた。その表情はどこか寂しそうでもあった。

「そうか。それは私の考えが至らなかった。では、道場に向かうとしよう」

 秀雅が踵を返し、宮中にある道場へと向かう。やれやれとため息をつきつつも、陽俊も、秀雅の綺麗な黒髪を見失わないようについていった。




 宮中の道場は訓練場とは違い、宮家や貴族たちが使う場所だった。それ故か朝には誰もいない。

「たあぁぁ――――っ」

 秀雅が叫びながら竹刀を振り回す。陽俊は余裕の表情でそれを次々とかわす。秀雅のくりだす攻撃は素早いのだが、陽俊はそれを上回る素早さを持っていたので難なく回避できた。

「そんな闇雲な攻撃、俺には通用しないぜ!」

 陽俊が飛び上がる。あ、と秀雅が声をあげるまでもなく、背後を取られてしまう。

「うわ、見事にガラ空き」

「うるさいっ!」

 茶化すような声にムッとした顔で、竹刀を突き出す。

「よっ、と」

「あ!」

 陽俊が秀雅の竹刀を掴む。秀雅もその手から逃れようと懸命に竹刀を左右に振ろうとしたり、引き抜こうとするが、びくともしなかった。

「甘い甘い」

 陽俊が竹刀を思い切り引っ張ると、秀雅ごと引っ張られ、倒れかけてしまう。

「はい、これでしまいな〜」

 陽俊の腕にすっぽりと収まってしまい、不服そうに秀雅が声をあげる。

「ったく、ムキになんなよ。皇族貴族のたしなみぐらいの武術はもうできてんだからよ」

「陽俊に負けてばっかりは嫌なのだ!」

 秀雅が陽俊の腕の中から挑戦的な目で睨みあげてくる。それに陽俊は溜息をつき、解放してやる。

「悪いが、俺は武の名門、空三家くうさんけの1つ、日家ひけの跡取りだぜー? ちゃんと“陽”って名前についてんだろ?」

「でも昔は私も陽俊には負けてなかった! 取ったり取られたりだった!」

「あのな、俺も影鈴といっしょだ! 修行してきたんだよ。俺も、影鈴もおまえより強くなきゃ意味が無い。だから必死になってだな……」

 陽俊が言葉を止める。秀雅の表情が悔しそうな印象は残しているものの、どこか違ったものが感じられたからだ。

「そうやって、置いてくのだな、おまえも、影鈴も……」

「お、おい……」

「ふんっ! 陽俊なんか武術しか取り柄が無いくせに!」

 秀雅はそれだけ言い残していくと、道場を走って出て行った。

「ったく、なんかとは何だ。なんか、とは。まったく可愛くねぇ!」

 陽俊は悪態をつきつつも、頬をかいて、どうしたもんかと考えを巡らせていた。

「はぁ……なんで俺があの素直じゃない奴のために悩まなきゃいけねーんだよ……秀雅もだまってりゃ可愛いんだけどなぁ……ぶっ!!」

 陽俊の顔に竹刀がものすごい勢いで激突する。陽俊は手をひきひくさせていた。

「陽俊! さてはあんた、また秀雅様をいじめたわね!?」

 陽俊は袖で、顔を擦って、声の主を睨む。視線の先には、秀雅と同じぐらいの長さの髪をポニーテールに結った、白い服に黒い胸当てをつけた凛々しい少女が怖い顔をして立っていた。

「いじめてねぇ! あいつが勝負を挑んだから相手してやっただけだ!」

「じゃあなんで秀雅様があんな傷ついたみたいな顔して戻ってきたのか説明しなさいよ!」

「それがわかったら悩んでねぇ!」

 陽俊が声をはりあげると、少女は溜息をついて、陽俊の側に歩み寄ってきた。

「影鈴……俺たち、秀雅を置いて行ってるのか?」

「置いていく?」

 少女――影鈴は陽俊を目をパチクリさせながら見返す。

「あいつがそう言ったんだよ」

「……私たちが、強くなってたってことかしら?」

 影鈴はその場に正座する。陽俊もその隣にあぐらをかいて座った。

「私は7年、陽俊は8年、秀雅様の傍から離れて修行してたわ。それぞれ、月家げつけ、日家の跡取りとして。私たち自身、秀雅様を守れるようになるため」

 影鈴も陽俊と同じく、空三家の1つ、月家の跡取りだった。そのため名前に“影”の文字がある。

「でもよ。俺はともかく、おまえの場合はそんなことなくないか? もともとおまえって秀雅より強かったじゃねーか」

「……憶測よ?」

 影鈴の先に言っておくという言葉に陽俊は頷いて見せた。

「私は。8歳の時に別れて、7年ぶりに再会して……立場が変わってしまった。私は戻ってきてからは秀雅様の護衛官。昔は幼馴染としていっしょに遊んでいたけれど……。身分が違うのよ。いくら空三家とはいえ、宮家に並ぶはずもない。私は敬語を使い、様づけで呼ぶ」

「ああ、そうだったな」

「秀雅様がね、なんか気持ちが悪いから敬語はいらないと……でも身分上仕方ない、お傍にあがるにはこのことだけは見逃して下さいと応えて、理解して下さったはずだけど。やっぱり嫌だったのかしら」

 影鈴の表情も曇る。たしかに秀雅の気持ちが寂しいという方向に向かうのも道理なのだが、影鈴にはどうにもできないことだということもよくわかる。

 秀雅はこの国の皇子みこ。護衛官となり臣下になった影鈴との差はあり、その差を破ろうものなら護衛から外されてしまうだろう。

「陽俊はね、まだ正式に護衛官になったわけじゃないし、臣下の身分をもらったわけでもない。周りの目を気にしながらではあるだろうけど、以前どおりの言葉で、態度で接してるけど……」

 影鈴が陽俊を見てクスッと笑う。

「久々に会ったら、自分じゃ全然勝てないほど強くなっちゃってるし、背も差が出ちゃった。」

 陽俊は先ほどの勝負を思い出す。たしかに、子供のころは秀雅と目線の高さはいっしょだったはずなのに、今では秀雅は影鈴より少し背が高いだけで、陽俊とは10cmは離れており、簡単に抱えられたりするようになってしまった。

「自分だけ置いて行かれるような気分になってる可能性はたしかにあるわね。秀雅様への宮中での風あたりは決して温かいだけのものでもないし……」

 陽俊はその言葉にハッとする。秀雅は三の宮でおおよそ天子となるのは兄、一の宮の優艶ゆうえんだと言われている。秀雅の母親は兄である一の宮や二の宮の母親と違い後ろ盾の無い身分の低い女性だった。そのため秀雅にも後ろ盾は無く、ほぼ後を継ぐことはないだろうと官の態度もだいぶ違うほどだ。

「しかも、一の宮様はたしかに名前のとおり優れていて艶やかだというが、いろいろ秀雅の方が優秀で一の宮様のお母様のご実家から結構冷たくされてるとか聞いたな。かといって二の宮の利風りふう様のご実家とご本人が温かいわけでもなく……」

「だから、私たちの帰りをとても楽しみに、待っててくれたって。絶対に自分を裏切らない信頼できる仲間」

 陽俊と影鈴は目を閉じた。

 幼い頃の無邪気な秀雅。あの頃から、秀雅だって身体も大きくなったし、声も低くなった、あの頃から聡明でそうも笛も弓も書も、皇族貴族のたしなみに秀でていたがそれが群を抜くぐらいにまでもなった。秀才で高雅な、名の通りの秀雅。

 身分もこの上なく高いのに、おごらないまっすぐなところはいつまでたっても変わらない。

 あまりにもまっすぐで純粋なためだまされることもある。その性格の上に決して女のような顔というわけでもないのに異様に可愛らしいと感じる顔立ちもあって人を惹きつける魅力も多いのにそのことも自覚していない、少々鈍感なところもある。

 そんな秀雅が陽俊も影鈴も愛おしいと思う。同い年なのに放っておけない。だが、凛とした強さを秘めていることも2人は、2人だけはよく知っていた。

「秀雅は部屋か?」

 陽俊が、尋ねながら立ち上がる。影鈴も明るい笑顔で立ちあがった。

「“秘密の場所”よ」

「行くか!」

「ええ!」




 宮廷が最初に建てられた時の残骸。歴史的なものだからと残されたままだったが、外観は美しくない外壁が残っているだけだった。

 そのさらに奥に生えている樹。秀雅はよくこの樹に上って、宮廷の外を眺めながら親友2人と語り合ったりしていた。

 秀雅はボーっと外を見ていた。

「しゅーが♪」

「秀雅様」

 名を呼ばれ、秀雅は下を見る。そこには、陽俊と影鈴が立っていた。

「ど、どうしたんだ?」

 秀雅が戸惑ったように2人を見る。陽俊と影鈴は飛び上がり、それぞれ秀雅をはさんで両隣に座る。

「私は、秀雅様に伝えたいことがあります」

 影鈴は優しい微笑みを浮かべて秀雅の目を見ていた。

「身分の壁が阻んでも、接し方が変わってしまったとしても。心はいつだってお傍にあります。護衛官の誓いの通りです。どんな時も秀雅様を守ることだけを。それはいつも秀雅様を好きだと、大切だといういう気持ちの表れなのです」

「影鈴……」

「俺だってな」

 秀雅は陽俊を見やる。どこか照れたような笑顔の陽俊がいた。

「俺は外見が変わっても、強くなっても、どんな風になろうとも。逆におまえがどういう風になっていったって、おまえを大事に思う。いっしょにいたいし、笑い合っていたい。おまえが辛いならなんとかしてやりたいし、さみしいなら飽きるまでずっと傍にいてやる」

「陽俊……」

 秀雅は2人を交互に見やり、はにかんで笑った。

「では、私がいつも影鈴を頼ってもまったく問題も無いのだな?」

「ええ、もちろんです」

「これからも友達なのだな?」

「はい」

 影鈴が微笑み返すと、秀雅は人懐こく、嬉しそうな笑顔を返した。

「一応、陽俊もな!」

「一応ってなんだ、一応って! 余計な言葉をつけるなよ! 毎回毎回!」

 陽俊が指をさして抗議するが、秀雅はすましたような顔をしていた。陽俊がそれにさらにムッとする。

お前はいつも一言多いんだよ。自覚しろ、自覚! おまえはいろんなところで自覚が足りない!」

「そんなことは無いな。私は陽俊より頭がいいから」

「だぁ〜っ! 可愛くねぇ! 影鈴には素直なくせしやがって! 俺にはほんっとに可愛くねぇ!!」

「男の私に可愛さ求めてもらっても困るな」

 秀雅が舌をちらりと出し、悪戯っ子っぽく、楽しそうに笑った。だが、その顔がやはり可愛かった。


 3人の楽しげな声が華やかだが冷たい宮廷の隅でひと際あたたかい音で響いていた。


〜あとがき〜
『天明皇子記』で書かせて頂きました。この3人、主人公、というかメイン3人組では一番書いてて楽しいと感じました。
秀雅が異様なほど可愛いという設定なので、どうすればそれが伝わるのか、悩みましたが。陽俊は書きやすいです。影鈴も。秀雅は言葉づかいとか気をつけないといけないんですけど。あんまりやわらかくなってもだめだけど、高雅な子なので。
この話では箏弾きキャラは珍しく男の子の秀雅です。笛もできるという、これはもう萌えキャラと言われますね!(自分の萌え要素だけど!)
秀雅、陽俊、影鈴の話も書いていきたいな〜と書きながら思いました。まだこの話もサブキャラいろいろいますが。3人が一番好きです♪