「年越し蕎麦」
宮廷の年末は慌ただしい。
女房……侍女たちが走り回り、正月の準備や掃除などに明け暮れる。
官吏たちも正月の行事に備え準備をする。
青空の下、大晦日の今日はより、宮廷では様々な人たちがどたばたとしていた。
「ここはこんなもんか?」
「すみません陽俊様。日家の跡取り様にこんな女房の仕事を……」
髪の長い女房が気のいい笑顔を浮かべている少年、陽俊に頭を下げる。陽俊は、いいのいいのと言いながら手の平を横に振っていた。
陽俊は長い廊下の掃除の手伝いをしていた。雑巾がけは体力がいる。武人の自分がやるのに丁度よいと請け負ったのだった。
「ここは比較的静かだな」
「こちらは……三ノ宮様の……」
女房が口をつぐむ。陽俊もわかっていることだった。
時期春宮、いずれは主上となるだろうと言われている一ノ宮、優艶。一ノ宮には及ばずとも母君の実家の勢力も強く決して無視はできない二ノ宮、利風。彼らのもとには官吏たちが挨拶に集まっている。
一方、もともと母の身分が低く、しかも母君を亡くした三ノ宮、秀雅には官吏たちも注目せず、挨拶などには訪れない。そのため陽俊たちのいる、秀雅の部屋があるこちらの建物は静かなのである。
「肩身が狭いとか……思ったりすることはあるのか?」
「そんな滅相もない!」
女房は首をぶんぶんと横に振った。
「三ノ宮様は非常に愛らしく、勉学にも精通していらっしゃって優秀な方でございます。三ノ宮様に仕えられて私どもは嬉しゅう思っております」
女房が一生懸命そう言うと、陽俊は安心してニカッと笑った。
「そりゃよかった。俺も三ノ宮様のご様子でも見に行くかな」
「それは良いですわ。三ノ宮様もお慶びになります。でもまだ髪洗いのお時間では……」
「だったら俺も待ってるし。じゃあ、引き続き掃除頑張ってな!」
陽俊はそう言うと、その場を後にした。
「陽俊様がいらっしゃいましたよ」
「おお、そうか。でも私は今振り向けない。すまないな」
女房の声かけに、秀雅は背を向けたまま、声だけで返事した。
秀雅の部屋は綺麗に片付いていて、畳も障子も張り替えたのか綺麗になっていた。片付いているというのは、それだけ贈り物が少ないことも意味しているのだが、秀雅はさして気にしていなかった。贈り物といえば、父から貰った落ち着いたデザインの調度品があったし、月家からも宝飾品を貰っていた。奥の方に机ほどの大きな包みがあり、何が贈られたのだろうと陽俊は少し首を傾げた。
「相変わらず髪長ぇのな」
陽俊は、入ってくるなり、秀雅を見、そう感想を述べた。
「皇族貴族の嗜みだ」
秀雅は相変わらず陽俊には背中を見せたまま、そう答えた。
秀雅の周りには3人ほど女房がついており、薬などを溶かした水桶につけた櫛で秀雅の黒髪を丁寧にといていた。
「あら、陽俊来てたの」
隣の部屋から現れたのは、秀雅と同じぐらいの長い髪を1つに結い上げた少女、影鈴だった。
「よう。おまえは髪洗いはしないのか?」
「私は秀雅様の護衛。武官よ。艶出しまでする髪洗いはしなくてもいいわ」
影鈴は、腰に提げた刀を指さしながらそう言った。白い和服、紺色の袴に黒の胸当てをつけた影鈴はなかなかの美少女でもあるが、凛々しいという言葉の方が似合う。
「できたのだ!」
隣の部屋で待っていた陽俊、影鈴のもとに、笑顔で秀雅が現れる。髪洗いも終え、いっそう艶々した黒髪をやんわりと結った秀雅はどことなく楽しそうだった。
「秀雅様、おぐしお綺麗です」
「ありがとうなのだ」
秀雅はそう言うと、くるりと回って髪を見せた。影鈴はにっこりと微笑む。
「今日は大晦日だ。蕎麦をつくるぞ! 影鈴、陽俊!」
「へ? なんでまた?」
陽俊がそう問いかけると、秀雅は胸をはってみせた。
「さる田舎町では、年越しにはこたつなるもので蕎麦を食うのが習慣だそうだ!」
「でも宮様の年越しっていったら宴会じゃ……」
「あの場にいてもちっとも楽しくない。夜の宴には出るが、適度に父上たちにご挨拶したら退散する。年越しはこの部屋で3人で過ごそうぞ」
秀雅は、座ってる2人を強引に立たせると、建物の調理場へと連行した。
女房は心配そうにしていたが、秀雅の希望で外に出されてしまった。
生地をこねたり、切ったり、茹でたり。3人は真剣に作業にとりかかっていた。やり方は秀雅がどこからか仕入れてきたという蕎麦の作り方という簡素な巻物があったが、宮家と武家名家の3人。皇子にお坊ちゃんお嬢様育ちの3人には慣れていないことで、調理場は大騒ぎであった。
静かであった三ノ宮の建物が賑やかになった瞬間でもあった。
夜になり、中央の宮では大晦日の大宴会が開かれた。宮家や大貴族、高位の身分を頂いている官吏などそうそうたるメンバーが揃っていた。豪華な食事にお酒で盛り上がっていた。
秀雅はちょこんと座り、あたりを見回した。
目にとまったのはたくさんの人に囲まれた、長兄、優艶だった。少し緩やかに波打った質の黒髪を長く伸ばし、名前のとおり艶やかな顔立ちをしており、妖しいという言葉が似合い、男性ながら化粧も映える。それが優艶だった。
また視線を動かし、次兄の利風を見つける。優艶ほど目立つ容姿ではないが、端正な顔立ちをしている。髪は秀雅よりも少し短く、秀雅ほどではないがまっすぐな髪質である。こちらにも人が集まり、談笑している。
「父上……」
秀雅はやはり人だかりもできているが、父の元に向かった。
父、主上はゆっくりと声のした秀雅の方を向いた。秀雅や優艶のような大きな子供がいるようには見えない若々しい容姿なのが父であった。秀雅とよく似たまっすぐで硬そうな黒髪。凛々しさを感じる切れ長の目。鋭利さを感じる顔立ちは覇王という名にも恥じない容姿であった。
「どうした? 秀雅」
低く甘い良い声は優しげだった。
「私はこの辺で失礼させて頂きます」
「……居心地が悪いか?」
「いえ」
秀雅は下げていた頭をあげ、父の目を見、にっこりと微笑んでみせた。
「年越しは私の部屋で影鈴と陽俊と年越し蕎麦を頂いて過ごすと決めたのです。父上にせっかく頂いたこたつもありますし」
「そうか」
父王はふっと微笑んで見せた。それは愛する息子を見る優しい表情だった。
「影鈴〜、陽俊〜、戻ったぞ〜」
「あら、秀雅様。宴会はどうでした?」
「まぁなんというか、いつもの感じだ」
秀雅はそう言うと、既にこたつに入ってぬくぬくとしている2人と同じようにこたつへと入った。
「では蕎麦を食べるとするか!」
秀雅は布で覆っていた、蕎麦と食器を出した。
「それでは……」
いっただきま〜すという声が3つ響く。
あたりは静かで、除夜の鐘のご〜んという音が部屋まで届く。そして3人が蕎麦を食べるずるずるという音がしていた。
「今年ももう終わるんだな」
「そうですね。今年もあっという間でした」
「俺にとっては宮廷に久々に戻ってきた年だったが、なんかほんとびゅんって感じで過ぎ去ってく感じだよな」
「私は今年は楽しかった」
秀雅が笑顔で言う。
「影鈴と陽俊と……3人でまたこうやって過ごせて、楽しかったのだ」
秀雅は少し照れくさそうにした。
「小さい頃、3人一緒で。でも影鈴と陽俊は武家の名家、月家と日家の跡取りだから修行に出てしまって。私は1人だった。女房たちも皆気を遣ってくれているがわかっている。私は後ろだても無いから、わりと厄介者だ。だから1人で寂しかった」
秀雅は器を置くと、影鈴、陽俊を見やった。
「かっこ悪かったが……ずっと、3人で一緒の頃の思い出を大事に大事にしててな、いつかまた3人で過ごせますように過ごせますようにといつも思って暮らしていた。なかなか前に進めなかったんだな」
秀雅が苦笑する。
「過去に縋るというのはかっこ悪いかもしれないが、大事にするのは悪くないさ」
陽俊が優しい声でそう言った。
「過去は変えられないから大事にするのは現在と未来だとよく言うもんだけどさ。失敗は過去から学ぶもんだし。過去が勇気をくれることもある。秀雅は過去の思い出に勇気をもらって今まで頑張ってきたんだ。かっこ悪いだけのもんでもないさ」
「そうです。秀雅様が過去のことを忘れずに私たちを待って下さっていたから……私たちもこの場所に帰ってこれた。そんな気がします」
影鈴も秀雅の目を見、微笑みながらそう言った。
「影鈴……陽俊……ありがとう」
秀雅はゆっくりと目をつむった。
「今日年越し蕎麦をつくったりしたことも1つの思い出。影鈴と武術の稽古をしたり、陽俊と戦ってみたり。3人でどこかに小さな冒険に出たり。宮廷で過ごす日々も……1つ1つが振り返ってみても楽しい思い出になればいいと思う」
秀雅は目をあけ、影鈴と陽俊を見た。
「今までたくさんの思い出をありがとう。これからもたくさんの思い出を残していこう」
「ああ」
「ええ」
ご〜んと鐘の音が響く。
「あけましておめでとう! 今年もよろしく!」
〜あとがき〜
大晦日に思いついて一気に書いてみました。ネタの思いつきは私が母に「年越し蕎麦にしよう!」と言われて年越し蕎麦を食べてる情景であったかいお話書きたくなったな〜と思いました。宮様が蕎麦なんかつくるかな〜と思ったのですが。秀雅は結構行動力がありそうなのでやるかもと思いました。本編の時系列は結構無視した作品になりましたが、捧げ文で番外編みたいなお話なのでこれでいいかな〜と。天明皇子記はアジアンテイストファンタジーなのですが今回はどちらかというと平安時代風になりました。大晦日ですし和風で。
秀雅たちはとにかく髪の長い人ばっかり出てきます(笑) 秀雅や影鈴は腰ぐらいまで、陽俊は胸あたりまで。ちなみに一番長いのは優艶でふくらはぎぐらいまであります。皇族貴族の嗜みです。武家も伸ばしてる人多いみたいな感じで。
突発的ですがほのぼの話を天明皇子記で書いてみました。大和様にお捧げします!