第22章 誇りと森の崩壊
「くっ……」
リズ城。リズ王国の中心であるその場所。赤絨毯が敷かれた王の間ほどではなくとも豪奢なつくりである部屋――客室――に苦渋に満ちた表情を浮かべている女性がいた。
太っている体型にいつもなら威厳を漂わせていたその女性――リズ女王ビレイは、真紅の豪奢な服装ではなく、真っ黒な、みすぼらしい服を纏っていた。そして、椅子ではなく、白い布が敷かれた床に座らされていた。彼女の目の前にいる桃色の和服を纏った長い黒髪を持つ少女の命によって。
「あなたが選んだ道によっての結果なのですよ」
少女――タマが冷たい声色でそう告げた。無表情も相まってか、ビレイにはこの少女が死神のように思えた。
「本意ではないのですか? リズの民の長。その誇りを持ったまま死ねるのですから」
タマが後ろに控えているヘリオス兵の中から一人の男性を手招きする。兵士の手には大きな剣が握られていた。
「言い残すことはありますか?」
「この……悪魔がっ……!」
憎憎しげにビレイがそう言った。タマは俯いた、が、すぐに顔を上げ兵士に手で合図を出した。
「さようなら、リズ王国の誇り高き君主、ビレイ女王陛下。安らかにお眠りなさい」
タマの言葉が終わると同時に、剣が肉を斬る鈍い音がし、赤い液体が飛び散る。その液体は白い布に赤黒い染みをつくった。
「……アスカ様の意向に刃向かう者はこうなる運命なのです」
タマはそう静かに言い、ヘリオス兵たちの方を向く。その顔は青白く生気が無いように見えた。
「さあ、次はエルフの森へ。悲しいですが彼らとは交渉することはもう無いでしょう。誰にも従わないと豪語していますから」
「奴らには実験台になってもらうことになりますかな?」
「実験台、とはいえこれは今回しか使えないでしょう。あの場は占領地として使えないと言われました故」
タマは、目を閉じ、深呼吸をした。
「ヘリオスの兵士たちよ、準備にとりかかりなさい! 我が神王に栄光あれ!」
「栄光あれ!」
兵士たちの声が客室に充満する。
タマに対し敬礼をすると、兵士たちは客室からビレイの亡骸と共にその場を後にした。
「神殿の知識、そしてワオンでの薬草学の融合技……こんなことに使うなんて師匠、お嘆きになるでしょうね……」
タマは悲しげな声で誰とも無くそう言うと天井を仰いだ。
「ユウギリさんは、お怒りになるんでしょうね……」
月に照らされ、神秘的な青い森の召喚士一族の集落であるルーン。その長、サトシの家の応接間――現在は新セレーネ軍の会議室として使われている――に、難しい顔をしたヘイナとコロナ出身の伝令を務める青年がいた。
「そうか、わかった。で、おまえはこれからどうしろと言われた?」
「はい、こちらの訓練状況をしかと聞いてきなさいとキタリス殿に言われております」
「そうか。少し待ってくれ。もうすぐ書類が届くはずだ」
伝令の青年はこの場所に来たのは初めてらしく少しキョロキョロとしていた。長の家というにはあまりにも質素。それが初めて訪れた者なら抱く印象だろう。ルーンの紋章の刻まれた旗がかけられているなどはしてあるものの、装飾品は無く、必要な家具だけが揃えられた木造の家だった。
だが、サトシを知る者なら彼らしいなという印象も抱くだろう。静かに、自然と一体化するような少年。それでいて自然の驚異にも似た威厳を纏わせている。そんな人物だから。
「ヘイナ殿、入ります」
ノックの音とともに鈴を鳴らすような声がした。ヘイナはそれに返事をし、書類を持った少女を招きいれた。
「ルリ殿、すまない。雑務をまかせてしまって……」
「いいえ。役に立てるなら……」
ルリは静かな声でそう言うと、樹でできた会議用の長い机の上に書類の束を置いた。それは各兵団の責任者が綴った記録をルリが纏めた新セレーネ軍の報告書だった。
「ではこれをキタリス殿に……あと、この赤い袋をユウギリ殿に、黄色の袋をハヤトに渡してくれ」
ヘイナは書類を紐でまとめ、手のひらにのるほどの小さな巾着袋2つと共に丈夫なつくりの皮袋に入れて伝令に手渡した。
「はっ! あ、忘れて……ヘイナ殿にこれを、とハヤト殿から」
「ハヤトから……?」
「それでは!」
伝令は手紙をヘイナに渡すと皮袋を大事そうに手に持ち、その場を後にした。ヘイナは手紙を開け、目を通すと、溜め息をついた。
「手紙には何と?」
「ルーンをしっかり守れ。キリン様をよろしく頼む。それから……無理しすぎて倒れるな。何かあったらちゃんとキリン様に相談するなり俺に言うなりするんだぞ、だと……」
呆れたようにという口ぶりだったが、ヘイナの表情はどちらかというと照れが含まれていた。ルリはその表情からヘイナの本心を読み取ったのか、穏やかに微笑んでいた。
「ハヤト殿、ユウギリ様、みなさんどうかご無事で……」
木々と木漏れ日に抱かれし集落、エルフの森。サトシの家と匹敵するほどの質素さの木造の家に住む、エルフ一族族長の少年ランは、窓を開け、風に鮮やかな水色の髪を揺らして、満月には少し欠けた月を憂い顔で見つめていた。
「ねぇティア、ヘリオス軍はこっちにまた来るの?」
「いえ、来るはずはないかと思いますよ」
「そう……せめて、お父様が回復してくれたらもう少し安心なんだけどな……」
ランは不安げな表情で後ろに控えていた、具合が悪くなった執事の代わりについ最近側役になった深緑の髪を持つエルフの青年、ティアの方に向き直った。
「爺の具合は?」
「まだ回復されないようで……お父君と同じ看護室でお休みになられています」
「そう……?」
ランは何かを感じたのか窓の外を見るように振り返った。
森に流れる小さな川の色がおかしい。暗くとも多少夜目の効くエルフである彼にはそれがわかった。
「いったい……!?」
嗅いだことのない異臭にランは思わず顔を覆う。
ティアが慌てて窓を閉めた。
「何、何なの!?」
ランは何が起こったのかが理解できず、頭を抱える。館に響く幾人かの足音に彼は更に混乱した。
ドアが派手な音と共に開けられる。そこには白い布で口や鼻を押さえている集団がいた。
先頭には桃色の和服を纏った少女、穏やかな気性には似合いもしない冷たい表情を貼りつけたタマがいた。
「毒を川に流したのか……」
ティアがタマを睨み上げた。タマはそれを肯定するように目を閉じる。
「ええ、これは水に流せば有毒な気体を発する薬でしたので……」
「毒なんて! そんなもの流したら森が死んでしまう! いや、エルフの仲間だって!」
ランが怒りと、恐怖の入り混じった声で叫ぶ。
タマは一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐにまた冷たい目になり、部下に手で合図を出す。
「エルフ長ラン。ヘリオスに従わぬ者として連行する」
「くっ……! あ、ど、毒……お父様は!? 爺は!?」
「ああ、始末された連中か?」
「え……!?」
ランの目が見開かれる。ヘリオス兵の言った言葉が信じられない。
「ふん。さ、そっちの奴も連れて行くぞ」
「な、何!?」
兵士に両腕を拘束されたティアが慌てたようにタマを見た。
「は、話が違う! 長捕獲に協力すれば私の身柄は保証されるって! 第一毒だってこんな全体に危害を加えるものじゃないって!」
「ティア!?」
ランが硬直したようにティアを見た。何を言っているか全く理解ができない。自分だけ異空間に取り込まれたような、そんな恐怖のせいか、身体が震えだした。
「自らの長を裏切るような者を私たちは歓迎しません、エルフの青年よ。でも私たちにとっては好都合でした。誇り高きエルフといえど、やはりヒトなのですね」
タマが冷たい声でそう言うと、兵士はティアを連れ、部屋を出た。それを見送るように一瞥し、タマはへたり込んでいるランに近づいた。
「そんな、まさか……嘘だ」
「可哀想とは思いますがこれが真実です。我が身可愛さに仲間を売るなど人間であろうがエルフであろうがする者はするのですよ」
「そんな! エルフは人間なんかと違う! 違うんだ!」
ランは幼い子供が駄々をこねるように叫ぶ。それはあまりにも痛々しかった。
「……エルフの長よ、あなたは信じるべき者を間違えたのではありませんか?」
「え……?」
タマの声は抑揚は同じだったが、どこか冷たいだけではないような、ランを諭すように聞こえた。
「さあ、行きますよ」
虚ろな表情をした少年を連れ、ヘリオス軍は死の森と化した空虚な場を後にした。
夜が明ける。
たとえその前日にどんなことが起きていてもそれは変わらぬことだった。
どこか不安を煽るような灰色の雲が空を覆っている。
豪奢ではなくとも清潔感の漂うコロン城でハヤトはそれを見ていた。
「ハヤトさんっ!」
ノック無しにドアが豪快に開かれる。
ドアノブに手をかけたままカインが肩を上下に動かしていた。何かがあった、ハヤトは瞬時にそう考えた。
「おばが、いえビレイ女王が殺されて、それからエルフの森が大変なことになってランが連れてかれたって……」
「そりゃ……どっからの情報だ?」
「リズの脱出兵です。夜にリズ駐屯軍の団長が精鋭を率いてエルフの森に向かったため何とか抜け出せたと。道中、エルフの森での出来事を遠目で確認したとのことです。でも、ランが連れて行かれたのは間違いないそうです……」
「そうか……」
ハヤトが少し考えるようにしたが、カインの異様な汗に違和感を感じ、組んだ腕をおろした。
「カイン、なんか他にも……?」
「スイレンが……スイレンが……」
朝の草原は爽やかというよりやや寒かった。
天気の悪い今日ならなおさら気温は低い。
そんなことどうでもよかった。
少女は、残された一番大事なものを守りたい一心で危険な道へと自ら飛び出した。
「ラン、待ってて、私が助けるから……」
少女の故郷でまた新たな騒動が繰り広げられる……